8282 われらの天皇   加瀬英明

66年前に広島に原爆が投下された、8月6日がまた巡ってきた。思い立って、私は敗戦から15ヶ月後の中国新聞(昭和22年12月3日号)の写しを、古いファイルから取り出した。
1面に「原爆の都にわれらの天皇」という大見出しが躍り、「天皇もみくちゃ歓呼の奔流」「萬歳、廿萬の大合唱 盡きぬお別れ・男泣き」の見出しが続いている。天皇がお発ちになる時に、お迎えした大群衆が感動のあまり、手離しで号泣したというのだ。
第1次世界大戦では、戦争に敗れたドイツ帝国のホーエンツォレルン帝制と、オーストリア・ハンガリー帝国のハプスブルグ帝制が崩壊した。第2次大戦では、敗れたイタリア、ルーマニア、ハンガリーの王制がやはり倒れた。だが、日本だけが違った。
 
日本が先の戦争に敗れて、占領軍が日本の国民精神を壊してしまうまでは、祖国のお蔭を蒙って生きていることを、皇恩といって感謝したものだった。
天皇陛下のお蔭で、私たちが毎日生きているのを感謝することを、意味していた。
「皇恩」というと、今日の多くの日本人が「民主的ではない」「古い」といって、過去の亡霊のように斥けてしまおう。
東日本大震災に当たって、天皇皇后両陛下が被災民を真心をこめて、見舞われた。管首相が避難所を訪れて、被災者から「もう、帰るの?」と詰(なじ)られたのと、何と大きく違っていたことか。多くの国民が、天皇あっての日本だと、心を打たれた。
今日、日本は125代目の天皇を戴いている。そして、古代から「天皇に私(わたくし)なし」といわれてきたが、125人のなかで贅(ぜい)に耽(ふけ)った天皇は、1人としておいでにならない。
中国でも朝鮮半島でも、世界のどこであっても、皇帝や王は贅(ぜい)のかぎりを尽くした。
中国では易姓革命(えきせいかくめい)によって、しばしば王朝が交替した。易姓革命は皇帝である天子が徳を備えており、最高神である天帝から天命を受けて、天下を治めるとされた。ところが、天子がいったん徳を失うことがあれば、別の有徳者が天命を受けて、新しい王朝を開いた。
もちろん、徳に関係なく、武力によって帝位を簒奪(さんだつ)した。どの王朝も天下を私有して、国民の窮状にかまわずに、国民を搾取して贅に耽った。それにもかかわらず、皇帝は誰よりも高い徳を備えているからこそ、天命によって、天子の資格を備えているとされた。
日本の歴代の天皇は、大規模な天災に見舞われた後に、第45代の聖武天皇が「朕(ちん)の教化に足らざるところがあった」、第51代の平城天皇が「朕の真心が天に通じず」天災を招いたが、「この災(わざわ)いについて考えると、責任は朕一人にある」、第56代の清和天皇が「朕の不明を恥じ、恐れるばかり」といって、詔のなかで自分の不徳を責めている。
多くの天皇が災いを自分に帰している詔を、発している。これが中国の天子であれば、かりに海山が裂けることがあっても、自分が徳を欠いていると、認めてはならない。徳を失うことがあったら、天命を失って、天子として失格してしまうことになる。
 
天皇の存在は、有難い。天皇は私心を持たずに、つねに国民のために祈ってきた。ここにも、日本の国柄が表われている。
66年前の8月15日に、昭和天皇がラジオのマイクの前に立たれて、「終戦の詔勅」を朗読され、そのなかで「茲(ここ)ニ国体を護持シ得テ」と、宣(のべ)られた。
国体を護持してゆくかぎり、わが国は滅びない。
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました