8382 乃木希典、静子、殉死の日 西村眞悟

大正元年九月十三日午後八時過ぎ、陸軍大将乃木希典は先帝の後を追い古式に則り切腹し自決した。満六十二歳。妻の静子夫人も自刃して夫と共に果てた。
 
明治天皇は、明治四十五年七月三十日午前零時四十三分、崩御あそばされた。御歳満五十九歳であった。元号は明治から大正に改まった。
そして大正元年九月十三日夜、明治天皇の御大葬がしめやかに執り行われ、陛下の御遺体が宮城を京都伏見の御陵にむけ出発する合図の号砲が午後八時に撃たれた。
その号砲を赤坂の自宅で聞き、乃木希典閣下は自決した。
 辞世は二首 
 神あがり あがりましぬる 大君の
            みあとはるかに をろがみまつる
 うつし世を 神去りましし 大君の
            みあとしたひて 我はゆくなり
乃木夫妻の葬儀は、九月十八日午後、青山斎場で執り行われた。その乃木夫妻を見送ろうと乃木邸から青山斎場までの道に集まった人々の数は約二十万人、東京開市以来最大といわれる。そこに軍人はもちろんあらゆる階層の人々が集まったが、婦人と子供と老人が目立ったという。
葬列には学習院生徒と廃兵が参加し、生前親しかった陸海軍軍人が砲車に乗せられた乃木の棺に付き従った。その後に静子夫人の棺が続いた。
まず乃木大将の棺を迎える群衆は、厳粛な気持ちに粛として声がなかった。しかし、次に続く静子夫人の棺を見た群衆の態度は一変し、ことごとく涙になった。(岡田幹彦著、「乃木希典 高貴なる明治」展転社より)
本日は九月十三日。乃木希典殉死の日。
私の敬仰する乃木希典大将、乃木さんのことをお伝えしたく書き込んだ次第です。乃木希典という人の武士道そのものの生き方そして死に方が遺したもの、さらに高貴なる明治を偲ぶことが、
我が国現在の混迷を晴らして誇りある国家再興への道を拓くこととなると確信するからであります。
杜父魚文庫

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