今、泉州路は秋祭りの真っ最中だ。堺では、各神社の神事として、数㌧もある地車・だんじりが町を引き回され、あるいは七十名の若者が力を合わせてやっと担ぎ上げることができる布団太鼓が町を練り歩く。
この祭りは、もともと収穫のお祝いを起源としているのだが、今や日本の文化、伝統そして歴史を伝えるまことに意義深い各町々の行事になっていると思う。
というのは、地車や布団太鼓は、町が力を合わさなければ動かないからである。従って、祭りに集う若者は、戦後の公立の学校教育では得ることのできない、集団行動における規律と役割分担の学習、そして一致団結して一つのことを成し遂げる喜びを体験することになる。また、町々の老若男女が参加して、各々の役割を果たして初めて祭りは成り立つので、祭りは地域の人々を結びつけ一体感を育てる。
本年、地震、津波そして台風が我が国各地を襲っている。例えば、このような緊急事態に襲われたとき、祭りのある町は、地域の相互扶助、助け合いが円滑に行われる。地域に一体感があるからである。
また、地車や布団太鼓は、非常に高価なものである。当然、祭りを実施するには高額の費用がかかる。従って、今の民主党内閣の仕分けや無駄を省くという頭だけしかない連中が地域を仕切れば祭りはできない。
何しろ丸二日間、何百人が汗水流しながら地車を引き回し、また布団太鼓を担ぎ回るのだ。まさに、この壮大なるエネルギーの消費だ。しかし、だからこそ、この祭りはすばらしい神事といえるのだ。この瑞穂の国である日本を、津々浦々で日本たらしめてきたのは、その地域の神社と祭りかもしれない。
では、地車とはどういうものか。これは文化の塊、一種の美術品と言うべきものである。この度、堺の小坂で、町内会が億を超える費用を投じて地車を新調し、入魂式が行われた。この地車新調記念に小坂町内会が発行したパンフレットで、地車を紹介したい。
小坂町新調の地車は、高さ三メートル八十センチ。大屋根の幅二メートル四十五センチ。地面につく車輪の幅は一メートル二十一センチ。そして、長さは四メートル二十二センチ。車輪も含めて全て木で造られている。
そして、地車の一番の特色は、彫り物だ。大屋根回り、小屋根回りそして腰回りの全ての箇所に彫り物がある。それは実に精巧なもので、例えば、大江山頼光の木渡り、大江山酒呑童子退治、八幡太郎義家雁行乱知伏兵、曾我兄弟陣屋討入、宇治川先陣争い、巴御前勇戦、一ノ谷合戦など数え切れない。
この様々な場面を精巧な彫り物にして地車に埋め込んである。つまり、地車は、歴史と文化を詰め込んでいるのだ。
このことを小坂町の入魂式に配られたパンフレットは次のように説明している。地車とはどういうものか、町の意気込みがよく分かるのでご紹介したい。
「悠久の時を超えて、今蘇る勇壮華麗な合戦絵巻。一輪の木理にまで迸る命の共鳴が、疾風のごとく、天空に響き合う。ここに紡がれし、幾年の懐い、幾人の憶い。新調地車へと厳かに魂が降臨するこの吉祥に、高らかに皆、喝采あれ。」
実に、地車とは、数㌧の重量をもつ動かしにくく倒れやすい我が国の文化の塊、美術品である。我が国は、世界に冠たるよく走る自動車を生産しているが、そういう技術の世界とは全く無縁というか背を向けているのが地車である。
しかも地車を引き回すのは年に数日間の秋祭りだけだ。その為に億を超える費用が投入されて地車が新調された。まことに、すばらしいことではないか。
九月十八日、この地車の試験引きが行われたとき、引いてゆく多くの若者を見て思った。何十年もすれば、彼らはきっと孫に、「この地車が新調されたときに、初めに引いたのがこの俺やった」と言うだろうと。
杜父魚文庫
8417 祭り、地車と布団太鼓 西村眞悟

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