織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川。
家康は1603年に江戸幕府を創設し、1868年まで265年間、戦争のない時代の礎を築いた。それなのに人気がないのは爽やかさや陽気さがないばかりか、豊臣家を滅ぼす際の謀略や残忍性が人々の印象にあるせいに違いない。
家康は健康のために運動し、漢方薬にも詳しかったというから、元祖健康オタクのようである。素食で、夕食でも麦飯、味噌汁、めざし、大根の味噌漬け、長いも、牛蒡・大根・昆布の煮物あたりだった。庶民のほうが旨いものを食っていたろう。
家康は「人の一生は、重き荷を負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず」などの家訓を遺しているが、「素食せよ」とは言わなかったのだろう。それでも質実剛健の風は孫の代あたりまでは継承されたかもしれないが、それ以降は将軍によって食事内容は大きく変わるようだ。
12代家慶の昼食は、
<一の膳>
汁:蜆(しじみ)、平(ひら):こちの切身、長芋、紫蕨(ぜんまい)、置合:寒天、栗、または慈姑(くわい)のきんとん、ぎせい豆腐、金糸昆布、焼物:鯛、お外のもの:海老、お壺:蒸し玉子等
<二の膳>
汁:鯉こく、皿:鯛の刺身、置合:蒲鉾、切身、ようかん、玉子焼、鴨、雁等、焼物:鱚(きす)、お外のもの:鮑(あわび)、お壺:からすみ等
見ただけで腹がいっぱいになりそうだが、その一方で杉浦日向子著「一日江戸人」によれば、14代家茂の食事はずいぶん質素だったという。食事は梅干、煮豆、焼き味噌などの一汁二菜が基本で、夕食でも煮物や焼き魚が加わる程度だった。
<飯は水洗いした米を湯で煮上げ、笊ですくって蒸したバサバサのオカラ状のもの。魚類も入念に水洗いして脂を抜き去ったデガラシ状のもの。蛋白質、脂肪分の極端に少ない低カロリー、低栄養素の食事>
このほとんどダイエット食にもかかわらずに、家茂は政務に加えて文武に励んだから体がもつはずもなく、慶応2年(1866年)、第2次長州征伐の途上、大坂城で病に倒れた。なんと享年21。
豚好きから“豚一”とあだ名された最後の将軍15代慶喜の食卓はそれなりに贅沢だ。白飯、鴨の吸い物、豚やわらか煮、たまご焼き、瓜の粕漬け、栗きんとん、たまご豆腐、鯛の切り身の醤油付け焼き。
15人の将軍の平均寿命は49歳で、50歳にならずに亡くなったのは3代家光(48)、4代家綱(40)、7代家継(8)、13代家定(35)、それに上述した14代家茂(21)と、5人。
一番の長生きは最後の将軍慶喜(77)で、次いで初代の家康(75)。この二人は在位期間が慶喜は1年、家康は2年2か月と短いから、幕府の撤収と創業という激動期ではあるもののストレスは他の将軍より少なかったのかもしれない。
杜父魚文庫
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