8451 政治を進化するには民心の向上 加瀬英明

ドングリころころとドジョウ
民主党の代表選挙は、深夜に空腹に駆られて、ただ1軒だけあいているレストランに入ったところ、メニュウを手にとっても、食欲をまったくそそられないのに似ていた。
前原韓風料理は、食材が痛んでいた。他の品も鮮度が落ちて、使い回しのようだった。
どうしてテレビは野党時代の民主党の領袖たちが、自民党が政権を盥回(たらいまわ)ししているだといって詰問している映像を、放映しなかったのだろうか。
人格なくして政治は進化しない一国の指導者の条件は、口先きの政策ではない。何よりも、政策の前に、人格だ。
代表選挙に立候補した顔触れを見ると、政治家を演じていても、みな政局屋であって、漁官にしか、関心がないように思える。
民主党政権の2年間は、無免許運転だった。今回も一川保夫防衛相が、「自分は無知だから、シビリアン・コントロールが成り立つ」といったのが、象徴的である。
政治主導によって、政官癒着を絶つといって、官僚を蔑(ないがし)ろにした。だが、これまで日本が発展してきたのは、政官が癒着といって誹(そし)られるほどまで、力を合わせてきたからだ。日本の官僚は、世界でもっとも優秀である。官を除け者にしたら、日本はアジアやアフリカの2流国と変わらなくなる。
自民党が日本を悪くしてきたが、民主党がその総仕上げをしている。自民党も、すっかり魅力が褪せている。国民は自民党に飽き、民主党に呆れはてている。
国会のなかで、敬意が払える議員といったら、30人もいるものだろうか。
政治進化の源は国民の意識
国民も政治を興味本位でしか、とらえなくなった。真剣に国の行く末を想い、政治を重大事と考える者が、少なくなってしまった。大多数の国民が国まかせの、安逸な生活しか求めていない。
結局のところ日本の政治が、堕ちるところまで堕ちてしまったのは、国民が劣化したためだ。日本の活力が、萎えている。
 
今回の民主党代表選挙は、恥ずかしかった。それにもかかわらず、日本が亡びてしまうと思って、国民が狼狽えることがなかったのは、皇室の存在によるものだった。天皇陛下の威光がこの国をかろうじて、支えていられる。
皇室はありがたい。今日の国会から僅かな例外を除いて、尊敬できる議員がいなくなったが、政界に限らない。
目的思考唯物主義では人格は向上しない
大企業の経営者も、小粒だ。かえって中小企業の経営者のなかに、きらめくように光る人が多い。中小企業は自立しなければ、会社も従業員も守ることができない。このような経営者のなかに、日本の希望をみることができる。
庶民の家庭では、父親が尊敬されない。日本の深い病いは、家庭から発している。
 
夫が妻や子を、叱りつけることがない。自信がないからだ。ましてや子に愛情をこめて、びんたを張ることがない。もしそうしたら、家長として権威がないからDVになってしまう。まるで国会議員が人気取りに身を窶(やつ)しているように、子どもに媚びているのだ。
生活を代々にわたって支えてきた生活文化が、疎かになった。日本では父親がつねに家長として、敬われたものだった。家庭から秩序が失われている。
社会は公その為の一社・一員である
今日の日本の混乱は、伝統が自分の外に置かれて、まるでスーパーの店頭に並べられている多くの商品のように、選べるものになってしまったことだ。
人々はこのあいだまでは、伝統のなかで生きていた。全員が伝統は嗜好品を買うように選ぶものではなく、人にとっての太陽であり、魚にとっての水だった。人々はとくに伝統を意識しなかった。いまでは伝統が人の外に存在するように、語られている。
人は現代だけに、生きてはならない。現代は刹那の連続だ。私たちは伝統精神と時代精神が交わる点に、生きねばならない。それでなければ、まるで糸が切れた凧のように、あてもなく漂わなければならない。根のない草は、萎れる。先人たちがこの国を盛り立てる知恵を、伝えてくれたはずなのに、先人が軽んじられている。
この20年ほど、若い女性に「どのような男性を好むか」とたずねると、きまったように「優しい人」という。私の青春時代には、誰もが「男らしい人」に憧れたものだった。今では、男たちが女性に迎合する。国会議員が選挙民やマスコミに諂(へつら)うように、青年たちは女性に好まれたいと努める。
正しい価値判断こそ礎
日本から、男がいなくなった。「優しい男」はついこのあいだまでは、「優男(やさおとこ)」といって、頼り甲斐ない柔弱な男か、ふしだらな女誑(おんなたらし)とみられて、軽蔑された。日本が男らしくなくなった。
男性たちがテレビが垂れ流す愚劣な番組の影響によって、饒舌になった。だいたい言葉はエゴを主張するためか、言い訳に用いられる。人は口数が少ないほうが、よい。
しばらく前になるが、大手のスーパー・チェーンがコンピューターを用いた、結婚紹介サービスに参入したことがあった。私はしばらく顧問として、手助った。
私が愕(おどろ)いたのは、男性の入会者が女性の10倍以上になったことだった。そこでスーパーの女子社員を無料で入会させて、急場を凌いだ。
男性が過保護に育てられているために、まるで人によって保育された動物が、自然に放たれると、本能を忘れて、自分で餌を捜すことができないようなものだった。
国の独立は国を自分で護るが起点
日本が国家として男らしさを失った最大の原因は、アメリカに国の安全を委ねて、国としての自立心を失い、羅紗綿(らしゃめん)国家になったことである。かつて西洋人の妾になった日本女性を、そう呼んだ。
東京は世界のなかで異常な、常規を逸した都市だ。
首都であるのに、国軍である自衛隊の制服を着用した者の姿を、まったく見ることがない。世界のどこであれ、首都ではその国の軍人が制服姿で闊歩しているのを、見るものだ。
私は敗戦の年に、長野県の国民学校(小学)3年生だった。敗戦の1、2ヶ月前に、女性の代用教員が、「アメリカ軍が上陸してきたら、男はみな睾丸(きんたま)を抜かれてしまいます」といったので、子供心に戦(おのの)いたものだった。軍服を目にすることのない東京を見ると、代用教員の言葉が、正しかったと思う。
真のブランドは自身の存在感
東京についてもう1つ異様なことは、男女が犬を連れて散歩しているのに行きあうが、どの犬も例外なく高価な血統書つきの犬で、雑種が一頭もいないことだ。血統書つきの犬にはブランド物のドレスや、ハンドバッグのように、舌を噛みそうな名がついている。
どうして雑種を、かわいがれないか。「人は買い求める物によって、つくられる」と、いわれる。紳士淑女のふりをしているものの心が貧しいから、ブランド商品に憧れる手合が多い。ブランド物を身につけることによって、自分もブランド物になりたいと憧れる。
このところ、男の褌(ふんどし)の紐が、弛(ゆる)み切っている。その反面、女性がはじらいや、はにかみを浮べることがない。俯(うつむ)きがちに歩くことがなく、まるで戦前、女だてらに“男装の麗人”として囃(はや)された川島芳子のように、踵(かかと)を高く鳴して往来している。
東京駅の遺失物係へ行ったら、和魂を捜すことができるものだろうか。きつと、「50年前まではお預かりしていましたが、どなたも取りにおいでにならなかったので、処分しました」と、告げられることだろう。
政治は言葉を生命と知覚すべし
野田新首相が、登場した。民主党代表に当選した第一声が、「泥臭い努力」をするといった。自分を泥鰌(どじょう)にたとえたのに、唖然とした。
野田氏は増税論者だが、日本経済が疲弊しきっているのに、ここで増税をしたら、民の竃(かまど)の火を消すことになろう。国民を泥沼に誘い込むことになる。
泥鰌鍋は泥鰌を生きたまま味噌汁に入れると、苦しがって跳ねるので、別名を“踊り子鍋”というが、国民を泥鰌鍋に仕立てようとしているのではあるまいか。
杜父魚文庫

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