今度は中華料理の豪華メニューのフカヒレ・スープが標的。鮫の尾びれを食べるな、環境保護、生態系保護、なんでも良いから理由をくっつけて食習慣を奪え! と活動家が上海にあつまって気勢を上げた。
日本は鯨を奪われた。中国もこれまでに熊の爪、犬肉が事実上の禁止(旧満州へ行けば例外。犬肉レストランは大繁盛中)。熊爪は、二年ほど前から事実上禁止になっている。衛生上の問題が主な禁止理由で、模擬の熊の爪はある。しかし熊の爪は満願会席料理には欠かせない逸品。なにしろ一ヶ月鍋で煮込んで柔らかくし、毒気を抜くのである。
広東ではハトの丸焼きは盛んだが、ハクビシンを食する店は表通りから消えた。九月に開催予定だった「犬肉」試食会キャンペーンは中止された。
北京の多くは、もはや犬肉を食べない。広東でも若い女性の好物だったフクロウの目玉(目が良くなるからと女性の人気の的だった)は下火となり、ハトの丸焼きも次の標的になるかも。
さてフカヒレである。世界のフカヒレの30%の種類が滅亡したと言われ、大半が中国人の胃袋に消えた(英誌エコノミスト、10月1日号)。
中国はフカヒレの多くを日本から輸入している。東日本大震災直後には品物が払底し、プレミアムがつくほどだった。豪華料理にフカヒレスープは欠かせない。殆ど誰もが好きだ。
と思いきや中国スポーツ界の英雄(ヤオミン=プロバスケット選手、「歩く万里の長城」と言われたほど長身)や、バージンレコード会長ブロンソンらが記者会見し、「フカヒレを食べるのは野蛮、フカヒレスープを禁止しよう」と言い出したから大変な騒ぎである。
9月22日、上海で開催された「世界ワイルドエイド」大会の席上にバスケットボールの英雄選手が同席したことに中国人は驚いた。このニュースは世界に報道された。
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★読者の声 ★DOKUSHA NO KOE ★読者之声 ★どくしゃのこえ★
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(読者の声1)貴誌前号「(読者の声1)週刊『ダイヤモンド』(10月3日号)をみて驚き、かつ怒りがこみ上げてきた。なぜなら日本脱出をする富裕層という特集で、金持ちがつぎつぎと日本に見切りをつけてマレーシアとかへ移住しているという。
アンケートを採ると「日本を逃げたい。放射能もあるし、政治は頼りないし」として、電子版の読者アンケートでも、45%が脱出賛成。「日本からでたくない」37%を上回った。
この富裕層の非国民的行動をみて激怒したのは私だけなのだろうか?(GH生、群馬)」に対して、貴見は「中国人の統計をとると、海外へ逃げたい人々の列は、おそらく80%以上でしょうから、まだまだ日本には愛国心があると思います。あのひどい歴史教育を受けてなお、日本に留まりたいという人が相対的に多い事実のほうを評価したい。海外に逃げ出した人も、多くが財産をすって日本に帰りたくとも帰れない。日本料理が食べたいと大いに後悔している声のほうが、じつは大きいのです」<引用終わり>
感想です。
1.これは宮崎先生が正しい。左翼政権は国民を収奪するので、一般に富裕層は財産を海外に送ります。しかし現代では国際的な資金管理体制が強力なので追跡可能で実質困難です。またタックヘブン国家と言うのは怪しい国なので、逃げてくる資金を泣き寝入りを見越して強奪没収します。したがって日本から逃げ出す金はあまりないそうです。実はこれは知人の金持ち資金コンサルタントから最近聞いた話です。
2.ただし民主党政権が発足した直後、財務省がタックスヘブン国に係官を派遣して、逃避資金についてチェック体制を取ったというニュースを見て、左翼政権のやることはフランス革命の昔から変わらないことを、感じました。フランス革命では革命政権の没収を恐れたフランスの金が外国に逃げました。
3.左翼の詐欺:左翼政権は富を作ることができず、国民を収奪して終わりです。政権が倒れると、権力者と家族が国民に隠れて王侯富豪の生活を享受していたことが分かります。
民主党も同じです。東日本大災害で減らしていた議員歳費を半年で元に戻しました。左翼政権は単純な詐欺です。国民は騙されていたのです。
4.週刊ダイヤモンドの記事:これは日本人を分断し、動揺させる利敵煽動記事です。今は一致して、金を稼がない民主党政権を追放する時です。危機の時代、日本人は同じボートに乗っています。
内輪もめは終わりです。利敵記事は禁止です。(東海子)
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(読者の声2)貴誌前号(読者の声2)の東海子さん、「日本がビルマを英国のように支配しようとした、というのは、正しくありません。」というご指摘、日本人としてはそのとおりだと思います。
しかし1943年に年バー・モウを首相として独立宣言を果たし、ビルマ国が建国されるも、ビルマ人から見たら独立宣言をしたところで日本軍が大きな影響力を持つ半独立国状態では英国の支配と変わりないのではないかと考えてもおかしくない。
戦局は日増しに日本軍に不利になる中、イギリスお得意の悪魔のささやきでアウンサンに取引を持ちかける。日本軍を裏切ってイギリスの味方となれば、日本の敗戦後にビルマの独立を約束すると。
イギリスの約束くらい当てにならないものはなく、第一次大戦のイタリア、第二次大戦のポーランド、アラブと皆裏切られている。
アウンサンは日本を裏切るわけですが、終戦後、ビルマは再び植民地となります。アウンサンがイギリスとの独立交渉を続けるなか、ビルマでの軍事裁判において、30人志士を海南島で指導した鈴木将軍(大佐)の裁判に立ち会い、彼はこう叫ぶ。
「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か!」ビルマにしろタイにしろ最後は日本を裏切るのですが、弱小国はよほど上手に立ち回らないと独立すらままならない(枢軸国のイタリアもムッソリーニを逆さ吊りにして戦勝国に寝返っています)。その二国を結んだ泰緬鉄道、戦後イギリスは撤去してしまう。
タイ側では有名なカンチャナブリ鉄橋の先のナムトックまで三分の一ほど残っていますが、レールの銘を見ると1950年代の八幡製鉄ですから、戦時中に敷設されたレールは一度撤去されたのでしょうか。
戦争中に破壊された鉄橋は昭和25年に日本の戦後賠償で修復された、とありますからその時に引きなおされたのかもしれません。ネットで見つけたブログの記事、「泰緬鉄道~タイと日本の深い仲~」というのが興味深い。以下ブログより引用します。
http://blog.goo.ne.jp/tuneari/e/bb32ddf1bd67cb5f62672651b2572f9c
『(泰緬鉄道の)敷設には日本軍の鉄道連隊と連合軍の捕虜、そして募集した地元民が従事した。そして、当初五年掛かるといわれた全長415キロあまりの敷設をわずか一年半で開通させた。日本としてはビルマ戦線の物資郵送ルートという意図があったのも事実だが、同時に戦争が終わった後、タイ人とビルマ人にとっての重要なインフラになればという意識を持って作った。(タイとビルマは犬猿の仲ですが)
だから、普通、欧米人はこういう時、木の仮橋を作ったりするのだが、日本軍はコンクリート製の橋脚をもつ鉄橋を作った。これを「死の鉄道」と騒ぎ立てるのが酷使されたフランス人で、黄色い猿と思っていた日本人にこき使われたのが我慢ならなかった。
その一人、ピエール・ブールは『クワイ川の橋』を書く。その中では野蛮で低能で橋の設計もできない日本人が書かれている。そして白人アレックスが無能な猿どもに設計図を引いて木の橋を作ってやったと書いているが、勿論、全部嘘。設計をやったのはすべて日本人だし、木の橋ではなく鉄橋を作った。フランス人は単純作業をやっただけだ。
ちなみに、この作品は『戦場にかける橋』として映画化されている。繰り返すが、嘘ばっかりの内容なので御覧になった方もなる方も真に受けられないよう。
ついでにいうと、この作品だけで怒りがおさまらなかったピエールは『猿の惑星』を書く。日本人を猿、黒人をゴリラに見立てて白人は彼らの奴隷になるという設定で、諸外国では露骨過ぎると嫌がる向きもあったが当の日本人は気づかずに大ヒット。
「日本人は自分に対する偏見にナイーヴ(世間知らず)だ」とは某ハリウッド関係者の言葉だ。』イギリス人捕虜から見たものでは「アーネスト・ゴードン『死の谷を過ぎて』新地書房 (1981/10) 絶版」があります。
記憶が定かではないのですが、シンガポール陥落時に船で逃げ出すも捕虜になりタイに送られたのだったと思います。
著者によると日本軍の過酷な取り扱いに加え、さまざまな病気に対しても赤十字から送られた医薬品は終戦まで使われることはなかったといいます。
ネットの書評から紹介すると、『彼は収容所生活の中で、マラリヤ、ジフテリヤ、熱帯性潰瘍等の病気に次々に罹り、「死の家」に運び入れられます。死体置き場の横に設置された病舎の、粗末な竹のベッドに横たわり、人生を呪いながら命が終わる日を待っていた著者のもとに、キリスト者の友人たちが訪れ、食べずにとっておいた食物を食べさせ、膿を出して腐っている足の包帯を替え、体を拭く奉仕をします。無神論者だった著者は収容所でキリスト教に目覚め、戦後イギリスに帰国し神学校へ入り牧師となります。
「エルサレムとは、神の国とは結局、ここの収容所のことではないか」。終戦後、立場は逆になり、彼は釈放され、帰国のためバンコクに向う。その途中、ある駅で、収容所に送られる日本の傷病兵を満載した車輛とすれちがった。ゴードンたちは、病人よりむしろ”病物”としてつまれていく人びとを見、「自国の兵隊さえあのように取り扱う日本軍が、どうして敵国兵を人間として取り扱うことがありえようか」と思う。
そして勝者である連合軍側の将校も、これを冷然と見ている。一瞬、ゴードンらは立ちあがり、夢中でかけよってこの傷病兵たちに、自分の水筒から水を飲ませ、包帯でその傷を包む。連合軍側の将校は驚き、「こいつらは、われわれの敵じゃないか。その上あなた方は……」と大声で叫んでこれをやめさせようとするが、不思議なことに彼らは、頑としてそれをやめようとしない──、不思議といえば不思議だが、彼らもまた、「地獄を見た人たち」であり、それはアーロン収容所を支配したイギリス人とは別人のように見える。』
信仰によってこれほど強くなれるのか。イギリス兵捕虜の骨と皮の写真を見ると、かつてのロシア兵・ドイツ兵捕虜に対する扱いとは雲泥の差。もう少しまともな扱いはできなかったのだろうか、とも思います。
しかしそれまで白人に絶対頭の上がらなかったアジアの人々、日本人に使役される白人を見て、白人が絶対の存在ではないことを実際に刷り込まれたことが戦後の独立に向けての大きな励ましになったともいいます。
アジアでイギリス兵やオランダ兵捕虜を丁重に扱ったなら白人コンプレックスも消えず、戦後の独立もだいぶ遅れたかもしれませんね。(PB生、千葉)
杜父魚文庫
8463 「フカヒレを食べるのは野蛮、フカヒレスープを禁止しよう」?? 宮崎正弘

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