この数日各紙で報道された内容を総合すると、民主党の小沢一郎元代表が「陸山会」事件の初公判を終えたその夜、酷い腰痛を訴え、救急車で東京・文京区にある日本医科大学付属病院(以下、日医大病院)に搬送された。6日深夜11時過ぎのことである。
永田町の常識では、政治家に健康問題が起きたことがばれると、即、政治生命に関わるそうだから、異例のことといわねばならない。しかもまるで初公判当日にタイミングを合わせたように救急車を呼んだというのだから、これは“事件”である。周りが大騒ぎするのも無理はない。
しかし、“事件”のの続報を総合し、彼の
・ 病歴
・ まもなく古希という年齢
・ 病院の選択
などを考え合わせると、政治家にしては希に見る適切な危機管理対応だったと感心してしまった。
小沢氏は平成3年、心臓に酸素と栄養分を送る冠動脈が狭くなる狭心症で今回と同じ日本医科大病院に入院、18年には臨時党大会の後体調を崩して検査入院、さらに20年には風邪をこじらしたとして一週間入院という前歴がある。
ついでにいうと、彼の母親も7年もここに入院したことがあるというから、日医大病院は小沢家のかかりつけ病院だったようだ。だから、同病院には自身の病歴カルテがきちんと整っていただろう。自宅の世田谷区から、わざわざ都心にある有名病院を素通りして遠くの文京区千駄木のこの病院に駆け込んだのは、きわめて適切な判断だった。
私が始めて同病院の存在に注目したのは、1995年のことだった。3月30日、その日の早朝、当時の国松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区の自宅マンションを出たところで何者かにに拳銃で狙撃され、重傷を負った。瀕死の長官は救急車で日医大病院に搬送され約6時間半にわたる手術が行われ、奇跡的に一命を取り留めたのだった。
手術後、しばらくして日医大病院に見舞いにいったのだが、後に国松元長官はこう語っている。「1発目は、痛いという感覚より、背中に命中したときどーんと突き飛ばされたような感じで、あっ、と思って逃げようとしたとき、下半身に続けて2発、頭の上を1発かすめて—。血だらけになって倒れていました。
迎えに来ていた秘書が救急車を呼んで、病院に着くまで意識はありました。後で救急隊員から聞いた話ですが、『この状態では、すこし遠くても一番体制の整った救急病院に搬送すべきだと考え、あそこ(日本医大高度救命救急センター・文京区)へ搬送した』ということでした。治療設備と優秀なスタッフが揃っていない近くの病院に運ばれていたらダメだったかもしれません」。
「最寄」の病院ではなく「最適」の病院に搬送することが大切だと強調している。「あの適切な判断をした救急隊員には感謝してもしきれない」(国松元長官)。
このインタビューの経緯については、↓
http://melma.com/backnumber_108241_2257052/ 「 国松孝次VSブラック・ジャック」
この記事を小沢氏が読んでいたとは思えないが、「最寄」の病院ではなく「最適」の病院に搬送することが大切という教訓を見事に実行している。
もうひとつ、高齢者である小沢氏の危機管理は、自分のかかりつけ病院を持っていたことだ。それも、政治家がよく行く有名病院ではなく、救命救急治療では日本でも屈指の日医大病院を選択したことだ。
「日医大病院の高度救命救急センターは、院内臨床各科とは独立した診療体系で運営され、初期治療から手術ICU管理まですべてセンター専属の救急医学教室スタッフは、一般救急科・脳神経外科・胸部外科・整形外科・麻酔科・精神科などのサブスペシャリティーをもつ救急専門医集団でもあり、平成5年4月より全国救命センターの“The Best of Bests”として第1号の「高度救命救急センター」の認定を受けました」(ホームページより)。
高齢者には多かれ少なかれ心臓疾患や脳疾患のおそれがあるが、イザというときこれほどのかかりつけ病院を持っている人が果たしてどれほどいるだろうか。
私は小沢氏の政治的な手腕・手法や動向について評論する知見は持ち合わせていないが、ご自身の健康危機の管理に対する備えは、用心深く「お見事」というしかない。
6日の“事件”で、「さすがの彼も、もしかしたら—」と期待したむきもあったかもしれないが、同病院には泌尿器科の権威もついている。どっこい、そうはいかなさそうである。
杜父魚文庫
8480 小沢氏の見事な危機対応 石岡荘十

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