かつて大手航空会社の専務だったKさんは海の無い県の育ち。「塩鮭だったら、焼くと浮いた塩で真っ白になるほど塩辛くないと駄目」と言う。
今と違ってKさんの子供時代は保冷車も電気冷蔵庫もないから山奥へ海の生魚が届かない。腐らぬように塩漬けした魚しか届かない。
「2歳までに父親と一緒に食った味がその人間の味覚の原点になる」というKさん。鮭は白くなるほどきつく塩漬けしたものでなけりゃ駄目は当然だったろう。
そういえば海の無い群馬県出身の総理大臣福田赳夫(たけを)さんは好物は塩鮭ではなく生まれ在所の蕎麦が大好物。総理大臣室で昼食はいつも「盛りそば」だった。
田舎に刺身はなかった。「一高受験で初めて上京したとき、上野駅前ではじめて刺身を食べたよ、旨かったねエ」と言っていた。
いわゆる「角福戦争」のライバル、越後出身の田中角栄氏。大好物はすき焼きと天丼だった。同じ上野駅前で初めて食べたのが天丼だった。「世の中にこんなに旨いものがあるのかよと思った」そうだ。
越後の田園にもわが秋田の田園にも、天婦羅や天丼はなかった。そんな角さんがその後に好きになったのはすき焼きである。料亭で注文するが、但し味付けは自分でやった。砂糖は全く使わなかったから、相伴したものたちは塩辛くて閉口した。
本人は隠していたが早くから糖尿病だったから砂糖を拒否したのではなく、雪国越後の味覚は塩辛かったのである。
これら2人を両輪に使いこなした佐藤栄作の大好物は焼き芋と大福だった。アルコールよりは甘いものが好き。総理大臣の引き出しに焼き芋のはいっていることがよくあったという。
そのまた親分の吉田茂は「何をお食べになってそんなにお元気なんですか」と聞くと「ヒトを食ってるからさ」と答えた。日本人ならわかるが未熟な通訳をきいたら外国人はのけぞったであろう。
その吉田を国会で散々虐めた河野一郎氏の好物は「きぬかつぎ」だった。随行した旅先の岐阜で大皿の山盛りを一人で平らげた。風貌とは違って酒を全く呑めなかった。
クレムリンでフルシチョフと遣り合って、それを知ったフルシチョフがからかった。「日本の将来」(恒文社)でも書いている。「これを呑んだらボクの言うことをすべて聞くか」といったら聞くというから意を決してウオッカを呑んだ。
途端に目が回って、何処がどうなったか、とにかく部屋に帰って風呂に入ったり、色々やってみたが駄目。翌日までかかってやっと醒めた。弟の謙三氏(参院議長)も呑めなかった。一郎氏の息子洋平氏は大酒飲みだが「あれは母親の血筋」と言っていた。
杜父魚文庫
8494 角の天丼 福田蕎麦 渡部亮次郎

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