9月はじめに5日間、ハワイに講義に招かれた。
夏が老いることがない島だ。海がせわしく輝くのに、椰子の葉がけだるい風に泳ぐ。日蔭のデッキチェアで目を瞑って、しばし俗世を忘れることができた。
隣のアメリカ人が、気軽に話し掛けてきた。アメリカ人はひと懐っこい。ニューヨークから来たといった。前月にニューヨークが92年振りの地震によって襲われたが、どうだったか、とたずねた。
「突然、ビルが激しく揺れたので、とっさに9・11のテロにまたやられたのだ、と思ったよ。まさか、地震とは思わなかった」
10年前の9月11日に、世界貿易センタービルがテロ攻撃によって、瓦壊した。
「そのすぐあとで、(ハリケーンの)アイリーンが南部を襲って、大きな被害が発生した。ニューヨークに来るというので、水や、食料を買い溜めた。その日は誰も外出せず、店も軒並みにしまった。マンハッタンを避けてくれたが、このところ、やたらに天災が多いね」と、ぼやいた。
天災に加えて、日本や、アメリカ、ヨーロッパの先進諸国は、そろって国家財政が破綻するという、自ら招いた人災によって見舞われている。身のほどを知らない豊かな生活に浮かれ、浮かれたことによって、借金地獄に落ちて、浮ぶ瀬がない。
浮ぶ瀬は仏教用語だが、一度地獄に落ちてしまうと、浮ばれないことを意味している。諸国はみな盛んな消費の夏が終わって、秋に入っている。短い秋を通り抜けると、冬が待っている。
先進国は、キリギリスだったのだ。そういえば、1日24時間電波を垂れ流しているテレビは、「ぎーちょんぎーちょん」と聞こえる。
キリギリスといえば、江戸時代に吉原に通った2挺立ての日除け舟の別名だった。キリギリスをかう籠に似ていたからだ。遊女が店の格子につかまって、客を呼ぶ姿も虫籠のようだったので、そう呼ばれた。
先進諸国の国民は、連日遊里に流連(いつづ)けて、飲めや歌えやの遊興に、羽目をはずした。吉原では、「居続(いつづけ)日和(びより)」といった。
アリはキリギリスと違って、女王を中心に、固く結束した家族を形成している。かつての日本は勤勉で、秩序あるアリの社会だった。それなのに、借金が嵩むのをよそにして、手に入れた贋物の豊かな生活が、人を利己的にしてしまったために、人と人を結ぶ絆(きずな)が絶たれて、家族まで解体してしまった。
子が親を捨てる、現代の姥(うば)捨(すて)山(やま)である老人ホームが、ビッグビジネスになっている。先日、高齢者相手のビジネスでひと儲けしている友人が、「シニア」をさかんに連発するので、「きっと、死がニア――近いんで、『シニア』というんですね」とたずねたら、ぎゃふんとなった。
日本が直面する最大の問題は、家族が崩壊しつつあることだ。政党の数が増えたというのに、なぜ家庭の再生をもっとも重要な政策として掲げる政党が、ないのか。
いま、日本が融解しつつある。家族こそが、社会を結合し、社会を支えている基本単位だ。国民の大多数が自己本位になって、自制心を失い、人権とか、市民だとかいって騒ぎ立てて、過去も未来も、国家も他人のことも構わずに、刹那的な快楽を求めている。国といったら、タダの福祉を提供する機関ぐらいにしか、思わない。
このところ保守派といわれる国民が、中国の脅威が募っていることを憂いている。中国は海軍の拡張に、狂奔している。
中国最初の空母が、試験航海を終えた。20年以内に、国産空母3隻が加わって、日本の海上交通路を絶つことになるといわれる。
だが、中国の空母が4隻、5隻出現しても、恐れるにたりない。それよりも、日本にとってもっとも大きな脅威は、日本が国家として急速に自壊しつつあることだ。自分を責めるほかない。
このままゆけば、中国の空母群が太平洋をわが物顔に遊弋する前に、わが国が崩壊しかねない。しかし、日本国民が正気を取り戻しさえすれば、日本が立ち直ることになる。中国が巨大な海軍を建設しようとも、アメリカが日本を守る意志力を失ったとしても、恐れることはない。
清少納言が『枕草子』を、「秋は夕暮れ。夕日のさして(略)あはれなり」と書き始めている。キリギリスの秋は、寂しい。
秋の百夜(ももよ)に、じっくりと反省したい。百夜は長い夜を、意味している。美(うるわ)しい秋津(あきつ)国(くに)と呼ばれた日本から、1日も早く邪気を払って、みのりの秋を迎えたい。
杜父魚文庫
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