8586 総理に贈る泥鰌の話 平井修一

泥鰌(どじょう)の語源は室町時代にさかのぼり、「土長」「ドヂヤウ」とあるそうだ。「泥」(どろ)は土の意味以外に、中国の『異物志』にある空想上の虫「でい」という意味もある。
この虫は南海に住み、骨が無いため水から上がるとぐにゃぐにゃになってしまうという。転じて「ぐにゃぐにゃ」で、「泥酔」「泥のように眠る」の語源になっている。
藤原佐理(すけまさ、さり、944~998年)は平安中期の公卿。早くより能書で知られ、小野道風、藤原行成とともに「三蹟」の一人にあげられ、流麗で躍動感のある筆跡は「佐跡」と呼ばれ尊ばれた。
佐理はしかし大酒飲みで、そのために不興を買うことも多かった。職務怠慢も甚だしく常識を欠く嫌いがあった。
『大鏡』に「如泥人」(じょでいにん、だらしのない人の意)とあるのはこのことを指している。ぐにゃぐにゃで箸にも棒にもかからない「ぐうたら」ということか。
泥鰌は泥臭いので小生は好まないが、「姿、形がグロテスクでヌメリが強いため、食わず嫌いの人の多い魚」(安来節の故郷、やすぎどじょう生産組合)という。レシピはあまりない。炊き込みご飯、甘露煮、汁、唐揚げ、鍋くらいだ。
泥鰌の鍋料理の代表格は「柳川鍋」で、開いた泥鰌と笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て卵で綴じる。『守貞謾稿』によると、天保時代に骨抜き泥鰌を売っていた人物の屋号が「柳川」で、そこが始めた料理であることから「柳川鍋」と呼ばれるようになったというが諸説ある。
いずれにしても泥鰌は上品な料理ではなく、庶民向きの居酒屋料理か。繊細で高級なイメージはないから売行きは悪い。
ちょっと古いデータだが、東京都中央卸売市場における泥鰌扱い高は平成17年で約69tであり、平成13年は103tを扱っていたことからこの4年間で半減している。産地の大半は中国産であり、日本産の表示はゼロであったという。
大分県では泥鰌養殖に力を入れている。
<ドジョウ養殖は過去に何度か全国的なブームも起こったが、産業として定着せず、各県の研究テーマから姿を消して久しい。一方、国産ドジョウの生産量は昭和50年代初めには1000t近くあったが、都市化の進行や圃場整備などにより生息地が年々減少し、現在は50tを割り込んでいる。
不足分は中国や台湾、韓国から輸入され、国内流通の大半は輸入物が占めている。ただ、消費者は国産物を支持し、特に養殖物は高値で取り引きされている。
そこで、ドジョウ養殖が定着しなかった原因を検討し、必要な養殖技術の開発、普及に取り組み、ドジョウを大分県の地域特産養殖物として定着させることを目標とした。
現在、屋内養殖ドジョウを『大分のんきどじょう』の愛称で売り出しているが、身が厚く、食味が良く、周年入手ができるとして市場の評価は極めて高い。ドジョウの屋内養殖には技術力や、施設整備に資本力を要し起業は容易ではないが、今後の主流になると考えられる>
泥鰌は見栄えがしないものの栄養価はすこぶる高いそうだ。ま、わが泥鰌宰相もそうあってほしいものである。くれぐれも鳩や菅のような「如泥人」にはならぬように願っている。
杜父魚文庫

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