8611 小言幸兵衛と言われるだろうが 岩見隆夫

また年寄りの小言幸兵衛か、と言われるだろうが、やはり書いておいたほうがいい。これまで当コラムで、バス運転手の高齢者軽視、ホテル接客の無神経、市役所のお粗末徴税マナー、KDDIのあきれた対応、銀行の時代錯誤など、いずれも私の小さな体験にすぎなかったが、活字に残してきた。
共通しているのは〈客〉を軽んじる世相であり、大変気になっているからだ。客あっての仕事なのに、客を大切にしない。特に高齢者がぞんざいに扱われる。このままでは、暮らしよい社会、お年寄りにやさしい社会から遠ざかるばかりではないか--。
十月十九日夜、私たち夫婦は米国在住の旧友と神奈川県江の島で食事をし、「まあ、おれたちお互い後期高齢者なんだから体には気をつけような」
と言いながら、JR藤沢駅で別れた。熱海駅経由伊東線網代駅まで一人千百十円の切符を買い、東海道線の普通電車に乗って帰宅の途につく。ところが、熱海駅に近づくと、
「熱海駅には少し遅れて着きますが、伊東線接続の電車は待っていますから、ご安心ください。一番ホームにお急ぎください」と車掌の車内アナウンスである。
四番ホームに着くなり、私たちはあわてて階段を下りた。二人とも足がいくらか不自由だから、すっ飛んでというわけにはいかない。私だけが小走りに、一番ホーム行きの、日ごろお世話になっているエレベーターの昇りボタンを押し、妻が着くのを待って上昇した。
ところが、どうしたことだ。ホームに着いたエレベーターのドアが開く直前、電車はすーっと走り出したではないか。
ホームにはだれもいない。私たちだけが置き去りにされたのである。無性に腹が立った。昨春、骨折した時は、何度も車イスのサービスで駅員のみなさんにお手数をかけた恩義は忘れていないが、これはどう考えてもおかしい。
次の最終電車の発車まで三十分近くある。再びエレベーターで降りて改札口に行き、駅員に事情を話した。
「おかしいじゃないか。どうしてなの」と文句を言ったが、さっぱり要領を得ない。
「だれか責任をもってやってるんでしょ」
「はい」
「じゃあ、その人、ちょっと呼んでくれ」
しばらくすると、年配の人がやってきた。あとで名刺をもらったが、I助役である。私は抗議した。
◇JRグループ経営者は営業効率ばかり追うな
「なぜみんな乗ったのを確認してから発車させないの」
「確認しましたよ」
「そんなことはない。私たちは置いてけぼりを食ったじゃないか」
「いや、三分しかないんです」
「三分というのは、三分しか待てないということ?」
「ええ、だから早く来てくれればいいんです。もう一分でも早く来れば」
と居丈高である。駅側になんの瑕疵もなかったと言いつのるのだ。しかし、それは事実関係が違う。私たちが四番から一番ホームに移るのに要した時間は、多くみても一分半だ。三分なんてかかっているはずがない。
「話にならないな」
「そんなことなら、もっと早い列車に乗ればいいじゃないか」
とI助役が強弁するに及んで、私は年がいもなくカーッとなった。これが客に対する態度か。声も大きくなったはずだ。ほかの乗客たちが、何事かと足を止め始めたので、まずいなあと思いながら、I助役をさらに問い詰めた。
「ホームで発車を命じたのは誰です?」
「私だ」
「もう一度聞くが、命じた根拠は」
「合図があったからだ」
「発車OKのサインか。それを出した駅員はどこにいたの」
「あそこです」
と一番ホームに上るエスカレーターの上り口を指した。それで私はすべてが理解できた。「三分待つ」は内規にあるのかもしれないが、今度の場合はウソだったのだ。
「その駅員、ここに呼んでください」
「……」
呼ぼうとしない。合図した駅員は、多分私たちより若い乗客たちがエスカレーターに駆けてくるのを待ち受け、上り切ったのを確認して助役に合図したのだ。エスカレーターから十メートルほど離れた反対側のエレベーターは、エスカレーターからはっきり見通せる位置にある。だが、その時、駅員の視野に入っていなかった。
駅員が最後にエスカレーターの上り口に終了のクサリを掛けるのを、妻が目の端にとらえていた。いつものことなのか、延着電車から急いで乗り継ぐ客はエスカレーター利用か階段を駆け上るに決まっている、と駅員が勝手に思い込んでいたことになる。
エレベーターには背を向け、忘れていたのである。ミスだった。まさか、年寄りは放っておけ、と思っていた、なんてことはあるまい。
しばらく声高に言い合いを続けたあと、I助役は、「申し訳ない」と非を認め、頭を下げた。だが、どこに非があると気がついたのか、はっきりしなかった。
うっかりミスもあるかもしれない。それを認めるなら、何ももめることはない。しかし、最初は、〈うるさい客だ〉と言わんばかりの態度で、言いくるめられると思ったようだった。高齢者をなめてはいけない。
一九八七年春、旧国鉄の分割・民営化に踏み切りJRグループが発足してから四半世紀になる。しばらくはJRの乗客サービスが旧国鉄時代にくらべると見違えるように改善され、私たちを喜ばせたのだった。
しかし、経営が軌道に乗るにつれて、サービス面はまたもとに戻りかけている。熱海駅だけのことではない。JRグループ経営者は営業効率ばかり考えていると、肝心の客の顔が次第に見えなくなるのだ。老婆心ながら。(サンデー毎日) 
杜父魚文庫

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