8619 「老後の3K」をどうする 平井修一

朝に犬と散歩をする。多くの人は駅へ向かい、その本流に逆らうように僕らは駅から遠ざかる。何か社会・生産活動から疎外された印象だ。老人ニートか。
リタイアするとはそういうことで、小生は社会・生産には専ら「消費」でしか関われない。健康、経済、気力を「老後の3K」というそうだが、気力が萎えがちになる。
<定年退職して第二の人生を謳歌するはずの老人が鬱(うつ)になってしまう状態を「老人性鬱」と呼びます。老人性鬱の原因の多くが「疎外感」や「社会から必要とされていない」と思い込んでしまい、それが「やる気が出ない」「楽しくない」「何をするのも億劫」という症状と
して現れます。
老人性鬱のきっかけは、体調が悪くて寝込んだり、些細なことがきっかけで発症する場合が多いのですが、この老人性鬱は、実はシニアがかかる心の病気の中では、痴呆に続いて2番目にかかりやすい病で、「たかが鬱病」なんてあなどれません>(健康スーパーNAVI)
近くに住む叔父さんは小学生の登下校の安全を図る「見守り隊」で頑張っているが、そういうボランティアでも社会とつながりがあるのは気力の源になるだろう。
小生の気力の源は家事全般を任されていることと、ブログで目に見えぬ読者に「こんなことを思っているよ」と発信することだ。前者は仕事、後者は趣味。
趣味を持たないと老後はもたない。92歳になった母は心も体もよれよれ、ぼろぼろになったが、四半世紀つづけた書道の腕はまだ衰えず、筆を持たせればびっくりするほどの立派な字を書く。介護施設の書道教室で「昇」という一字を書いてきたが、とても認知症とは思えないほど気品があった。
母は腰痛で今日から歩けなくなり、ベッドサイドでの食事になった。這ってトイレには向かうものの助けないと便座に座れない。間もなく寝たきりになるだろう。長生きは本人にとっても苦痛であることが多い。安楽死、尊厳死ということを考える日々が続いている。
杜父魚文庫

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