8650 三木夫人が語る「金のこと」 岩見隆夫

母校はありがたいものである。明治大学(東京・神田駿河台、納谷広美学長)は、同学出身の三木武夫元首相の業績をたたえ、4日午後、創立130周年記念シンポジウム<無信不立 いま、三木武夫を問い直す>を催した。
パネリスト席には、三木の愛弟子だった海部俊樹元首相、やはり明大出身の村山富市元首相、三木研究の学者らが顔をそろえ、会場には94歳の三木睦子夫人も元気な姿を見せた。村山は、
「三木さんも私も、ともに明大出身の首相は変革期に出たようですなあ」などと語ったが、三木はどんな政治家だったか、と問われ、海部が明かしたのは次の秘話である--。
ある日、三木から、「夜遅く南平台(三木邸)にこい」と電話がかかった。海部が夜の会合をすませて出向くと、
「まだ早い」と三木が言う。一体、何ごとか。深夜になると、「これ、返してこい。なかは何かわかってるだろ」と重たいボストンバッグを手渡された。
返しに行く。相手は、「選挙に役立ててもらおうと思ったのに」と不満げだった。戻ってくると、こんどは、「世界一こわい」(海部)睦子夫人が、
「バッグはどうしたの」
「みんな向こうに……」
「あれはわたしたち夫婦が旅行する時、必ず使うバッグよ」
「じゃあ、返してもらいに」
「そんなみっともないことやめてちょうだい」
ということで落着した。海部はほかのパネリストから質問を受ける。
「相手はだれかって? それはまだ生きておいでなので言えません。返した金額? ボストンバッグいっぱいですよ」
--相手は三木支持の経済人だろうが、せっかくの政治献金を返す。意外性がある。受け取りにくい事情があったのかもしれない。
三木が81歳で死去して23年になる。師匠が反金権に徹した政治家だったと改めてアピールしようと、海部は秘事を初めて語ったのだろう。
田中金権政治を批判して、三木が田中政権の副総理を辞任したのが74年7月、それから首相のイスに座るまで、約5カ月間の政治闘争はいま振り返っても壮絶だった。
三角戦争である。反金権を掲げ小派閥の三木が、金権・巨大派閥の田中に立ち向かい、追いつめていく。そして、勝つ。
さて、今回、明大はシンポと合わせて「三木武夫研究」「総理の妻--三木武夫と歩いた生涯」(いずれも日本経済評論社)の2冊を刊行した。後者は睦子夫人からの聞き取りである。いま、かつての政敵、田中角栄は夫人にどう映っているのか。
「田中さんに対して、三木は最後まで敬意は表してましたよ。私が自分の目で見て驚いたのは、川崎秀二さん(元厚相)が亡くなって、三木派だから私は早速お悔やみに行った。そしたら田中さんもいち早く現れて、お金の包みをそっと枕の下にお入れになったんです。
亡くなったらすぐにお金がいるというのをわかっていらっしゃる、あの人は。すっとそこに頭が働く。こういう気の使い方で、持ってきたのかなと。やっぱり田中さんって偉い人なんだと思いましたよ」
と語っている。偉い、と褒めるのにもいろいろニュアンスがあるが、金を持ち出されるのが、田中ならでは、だ。
民主党政権に移っても、金がらみの話題は絶えない。
田中の直弟子、小沢一郎元代表のやはり金がらみの裁判が続いている。だが、田中に肉薄した三木のような反金権の鬼が、いまいない。(敬称略)
杜父魚文庫

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