8669 大阪都の「都」はいかがなものか  岩見隆夫

大阪が燃えている。火勢強く大火になりそうな気配もあるが、案外早めに鎮火するかもしれない。ヤジ馬がいる。火中に身を投じようとする者もいる。火元はどこか、と真剣に探る人がいる。めずらしいことだ。
とにかく、地盤沈下がいわれて久しかった大阪が、派手に揺れるのは、結構なことではないか。大阪の繁栄につながっていけば、さらに結構である。
ただ、約半世紀前、駆け出し記者の私が住んでいたころの大阪は、おっとりしていた。勤務先の毎日新聞の本社は大阪だったし、そういう会社がたくさんあった。東京を当然意識していたが、反東京ではなく、東京に対する劣等意識でもなく、むしろ優越的な気分が漂っていたように思う。
私事で恐縮だが、一九六四年、東京に転勤する時、上司の社会部長は、「江戸をちょこっと見てくるだけでええのや。大したことない。すぐ帰ってきたらええ」
と言って私を送り出した。大阪-東京間はまだ夜行寝台列車だった。先輩記者は、「おまえなあ、大阪にいるから世界が見えるんやで。東京なんかただの渦なんや。肝心なことは何も見えてへん」と言い聞かせてくれた。浪速中心主義が相当徹底していたのだ。
しかし、今回の騒動の底流には、〈反東京〉がにおう。騒動の中心人物、大阪市長選候補の橋下徹前大阪府知事は、「東の東京都。西の大阪都で日本を引っ張る」
とぶち上げたそうだ。東西相携えて、とも聞こえるが、そうではなく、東京と別にもう一つ、関西に同じような日本の拠点を作るということらしい。いまでも拠点に違いないが、もっと強力なものを、と思っている。東京に対する敵愾心を感じるが、それは構わない。敵を設定するのは大きなエネルギー源になる。
橋下さんの手法が、小泉純一郎元首相や小沢一郎民主党元代表と似てるとしきりに言われるのも、同じ理由からだ。三人とも独裁者的に振る舞い、意図して敵を作って戦闘ポーズを取り、選挙で多くのチルドレンを当選させてきた。
人が言いにくいことを言ってのける点でも、三人には共通性がある。しかし、橋下さんの大阪都構想を初めて聞いた時、奇妙な感じがした。〈都〉という言い方はいかがなものだろうか。
さすがに、東京都の石原慎太郎知事が、「橋下君のいら立ちってよくわかる。ただね、『大阪都構想』ってやめてよ。都というのはキャピタル(首都)でね。国のキャピタルっていうのは元首がいて、国会があるところなんでね。
これはちょっと勘違いしてるから、あの言葉は好ましくない。ほか(の考え方)は賛成だと言っているんだけど」(十月二十八日の定例記者会見)と、この人に珍しく、穏やかに異を唱えたのはよく理解できる。どこの国も首都は一つだけ、言うまでもない。
◇NY、上海、バルセロナ…首都にない魅力を育てよ
だが、それ以前に、語感からしてよくないのだ。ネーミングは語感が大切である。二重行政をなくすという着想は評価するが、大阪都は木に竹を接いだみたいで、オオサカトという音も滑らかにいかない。
かつて、大学の独立法人化の際、京都、大阪、神戸の国立大学を統合する案が検討されたことがあった。しかし、うまくいかない。阪大総長が、ある席で、
「大きな壁は新名称でしたね。関西とか近畿とかいうのはいいのですが、すでに同名の私大がある。京阪も阪神も私鉄で慣れ親しんでいるし、ついに妙案がなくてねえ」
と笑いながら打ち明け話をするのを聞いたことがある。ことほどさように、ネーミングはむずかしく、知恵の絞りどころだ。大阪都でない、何かいい名称はないものか。
また、橋下さんとライバルの平松邦夫市長の二人がにぎやかに訴える大阪改造構想はどこに違いがあるのか、もうひとつはっきりしない。週刊誌も巻き込んだネガティブ・キャンペーンと中傷合戦に明け暮れているが、住民の多数はどちらに任せれば住みよい大阪になるのか、わからないのではなかろうか。
ダブル選挙の戦況はともに互角だそうで、それも大阪人の迷いの表れだろう。橋下さんはアジテーターとして一流かもしれないが、東京と違ってソロバン勘定に厳しい土地柄だけに、橋下流の過激な言動の値段が次第に下がってきたみたいだ。
〈大阪維新の会〉という橋下さん率いる勢力の党名も感心しない。これもネーミングの問題で、明治維新という言い方にしても進行中にあったのではなく、あとからつけられたのだ。鳩山由紀夫さんは「無血の平成維新を」などと吹っかけて失敗した。
維新は革命の意味である。まだ事が成るかどうかわからないのに、最初から、当事者に、「革命だ」と叫ばれると、次第にシラケを誘う。以前、石原慎太郎さんが命名した〈たちあがれ日本〉という老人議員たちの風変わりな党名も似たようなもので、気負いばかり先走り、結局名前負けしてしまった。
大阪維新騒動も、とりあえず橋下さんの当落が決定的な分かれ道になるが、へたをすると騒動疲れだけが残ることになりかねない。大阪の有権者もむずかしい選択を迫られることになった。
大阪の街が、私は好きである。東京と違うにおいがあって、いい。郷愁を誘うにおい、東京には薄いものだ。その魅力をどう育てていくかがもっとも肝心なことではないか。
ワシントンよりもニューヨーク、北京よりも上海、モスクワよりもサンクトペテルブルク(旧レニングラード)、つまり政治的な首都よりも第二の大都市のほうがチャーミングで、私たちの足も向く。観光大国のスペインも、首都マドリードより海辺のバルセロナに断然そそられる。
大阪もそうあってほしい。同じ〈都〉でなく、東京より大阪のほうが、と思わせるもの。大阪の味である。味にふさわしいネーミングである。〈大阪都〉ではない。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

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