8706 統一通貨「ユーロ」もそろそろやめたら  宮崎正弘

ユーロ共同債発行に反対し、ギリシア救済に本気でないドイツよ。インドの真似ができないと、EUは所詮、絵に描いた餅におわる。
ムンバイは「インドのドイツである」。この比喩は取っつきにくい。しかしインドは国家連合の政体であると考えると分かりやすい。インドの通貨ルピーには十六の言語が書かれている。
民族も部族もばらばら、地域別の文化の違いは激しい。だから統一言語は英語にするしかなかったのがインドである。ベンガルはつねに反デリーであり、インドはパキスタンという目の前の敵がいて、かろうじて統一国家たりえている。
ムンバイ(ボンベイ)はインドGDP全体の25%以上を生産しており、しかもインド政府の歳入の三分の一以上はムンバイの所得税から成り立つ。
だからインドをEU統合と仮定すれば、ムンバイが「インドにおけるドイツ」である。
「インドにおける東欧」は、ムンバイのすぐ隣の貧乏県=ウタル・プラデシュ州とビハール州が引き受ける。
ムンバイの稼ぎの良さでインドの貧困地帯ばかりか、首都デリーも救われている。電車も汽車もバスも超満員のムンバイには地下鉄がない。デリーは道路が広く、クルマは緩やかに優雅に。これはムンバイの税金が貢献しているからとも言える(十年前にムンバイへ行った折、飛行場からインド門前のタジマハールホテルまで貳時間かかった)。
ムンバイの隣の貧困県だけで人口が二億九千万人。貧困でも人口が多いから、大変な政治発言力を発揮する。インドは民主主義国家であるから、多数決原理が政治を支配している。貧困地域であっても人口比は議員数を決める。
ならば「インドにおけるギリシア」とは農民である。政府補助金と過保護によって、インドの農民は税金を払わず、税金から補助金を受け取り、もっと呉れという。
都市部の勤労者、とりわけ中産階級が「インドにおけるギリシア」と「インドにおける東欧」とがお荷物になると不満を漏らすのは、ギリシアもイタリアもスペインもお荷物と不満を言う、こんにちのドイツを彷彿させる。
以上の辛辣な皮肉を言うのはマヌ・ジョセフ(インドの作家で、週刊誌OPEN編集幹部。ヘラルドトリビューン、11月24日付けコラム)。
しかし統一通貨「ユーロ」は、統一ヨーロッパの前提として、EU議会につどい、ECBを運営するテクノクラート集団と西欧のエリートどもが考えたのであり、インドのように統一政体を維持し、民主主義を守ろうとするのなら、インドにおけるムンバイのようにドイツは予算的にも貢献度も犠牲的精神が必要である。その熱意がないとなれば、統一通貨もそろそろやめにしたらどうだろうか。
杜父魚文庫

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