薄?来・重慶特別市書記、まだ政治局常務委員入り野心を捨てず。ライバルを王洋と認識し、剥き出しの執念で権力中枢へ暗闘。
革命元勲・薄一波(元副首相)の息子は薄?来(重慶書記)。その息子は薄瓜瓜。ハーバード大学ケネディスクール中退。まだ24歳。
薄?来は文革で下放されて辛酸をなめたが、名誉回復後はトントン拍子に大連市長、遼寧省長、商務大臣を経て現職。重慶はその昔、蒋介石が都を置いた河川交通の要衝。重化学都市にして人口三千万人。
薄は重慶書記として赴任するや旧勢力をばさばさと切り捨て、マフィアを退治して、この街の利権に染まっていた汚職幹部等を追放し、ボスら七名を処刑した。
重慶庶民は大喝采。これぞ大岡越前守(中国版でいえば包公の再来か)。ついで薄?来がやったことは毛沢東の巨大な銅像をおったてて「赤に帰ろう」(つまり革命精神に帰ろう、質素な生活をしよう)と訴え、これまた権力や利権に落ちこぼれた学者や学生、庶民の喝采を浴びた。
面白くないのは党中央。それでなくとも、出来もしない「改革」「民主化」と獅子吼して、庶民からは「温翁」と持ち上げられ期待される温家宝首相の人気の陰で、事実上、党中央は温首相を疎んじている。邪魔で鬱陶しいのだ。
共産党の特権をまもるためには温家宝の言動は実は迷惑千万なのだ。「紅色貴族」は、未来永劫権力を維持したいからで、その方向に動く習近平こそは、かれらの期待である。
したがってトウ小平が胡耀邦と趙紫陽を斬ったように、いずれ温首相は煮え湯を飲まされるかも知れない。
薄?来は、もちろん、危険な権力闘争の賭けにでている自覚がある。彼は二十五人いる中央政治局のなかではトップランク、そのうえの常務委員は九人しかいない。
▲次期政治局常務委員もおそらく九名になる
だが、薄?来が次期政治局常務委員入りするには党内多数の合意が必要であり、あまり目立ちすぎると逆風が吹いて失脚の懼れさえある。やり過ぎてはいけないが、目立たなくてはいけない。目下のライバルは広東省書記の王洋である。
しかし「夏の北戴河会議(長老、トップが避暑地の北戴河別荘地に集まり、年次方針を事実上策定する重要会議、ここで人事も決まる)では「三三三」配分が決められただけ」(香港のリンゴ日報、10月25日付け)という。
党中枢の政治局常務委員は九名で構成されるから、各派が等分に、三席は太子党へ。三席は共青団(胡錦涛ら共産主義青年団、いわゆる団派)へ。残り三席は諸派(つまり上海派など利権特権階層や公安系列、軍系列)に配分されるということである。
現有九名は上海派vs団派vs太子党の連立政権だが、実態はすでに江沢民の政治力後退により、「五湖四海」と言われる。
色分けしてみれば、五人が胡錦涛派、四人が上海派(発足当時は六人が上海派で胡錦涛は三名しかいない少数派だったが、現職の強味で徐々に勢力を扶植してきた)。
したがって三三三配分後は習近平の腕次第で「習五、李四」になりうる。
共青団(団派)は次期首相に有力な李克強、諸政策に辣腕をふるう李源潮、そして広東省書記の王洋が政治局常務委員入りするのは確実な情勢。
「太子党」からは次期総書記兼任国家主席に有力な習近平、財務金融に強い王岐山(副首相)が確定的で、もう一席が、薄?来の狙うポストである。
諸派の三席は、上海書記の愈正声が有力視されるが確定ではなく、公安系、紀律系からダークホウスが入ってくるだろうから、太子党出身の薄?来には、この配分には加えてもらえない。
ハンツマンが共和党大統領予備選のため離任したあと駐在北京米大使は中国系アメリカ人の駱家輝が就任したが、駱大使は北京で主要指導者に面会後、まず11月2日に広東省広州へ飛んで、共青団のライジングスターといわれる王洋(広東省書記)と会った。
王洋は中国一富裕層の多い広州を基盤に、反政府抗議集会やデモをソフトに黙認するなど、民主化のポーズも忘れない。
米大使はつぎに11月22日には重慶へおもむき、「唱紅打黒」を主唱する薄?来書記と面談した。長身の薄?来より頭ひとつ背の低い駱大使は、そのうえ中国系にもかかわらず中国語は喋れない。薄書記が米大使を睥睨するかのような写真が中国のメディアに配信された。
▲放蕩息子たちが時代を背負えるか?
「唱紅打黒」というのは、犯罪組織を撲滅し、諸改革を軌道にのせ、毛沢東精神に帰れと獅子吼する指導者に米国大使が興味を引かれたのは当然であろう。
ところが、ここにきた薄?来にいやな情報が露出した。薄書記の息子の薄瓜瓜のことである。
評判をおとす切っ掛けとなった「事件」は、北京の米大使館に薄瓜瓜がフェラーリで乗り付け、タキシードを着ていたからだった。当時、まだ大使の座にいたハンツマンの娘と晩餐の約束があった。「あれが『毛沢東精神に帰れ』とほざく薄?来の放蕩息子様か」とする批判はネットに流れ出た。
それでなくとも太子党の評判はすこぶる悪い。或る将軍の息子は十五歳で無免許運転で事故を起こし、住民が騒ぐと「オレの親父は◎◎将軍ぞ」と怒鳴り、その場は収まったもののフェイスブック、ツィッターを通して醜聞がひろくばらまかれた。
その結果、この事故息子は懲役一年の実刑を食らったという(博訊新聞網、11月27日)。
曽慶紅(前国家副主席)の息子は豪に3240万ドルもする豪邸を購入したが、目の前が港湾、自宅庭にプールが二つ。
このように太子党は親の七光り、祖父の分も加えると十四光組もおり、国有企業の大幹部になるか、ビジネスに熱中して膨大なカネを儲ける。不動産価格をつり上げたり高利貸しをやくざと組んだり、大王製紙三代目の豪遊と同じような遊びも豪快。側室、愛人は何人もいるが、何人抱えられるかという競争まであるそうな。
「太子党」のなかで、やや例外的なのはファッション・デザイナーになった万里元副主席の娘ら。葉剣英の娘、葉明子もファッション雑誌『ボーグ』のデザイナーをしている。
▲なにが「唱紅、打黒」だ! 天に唾するなとネット世論
さて薄?来の息子、薄瓜瓜は年少の頃から英才教育をうけ北京第四中学から英国へ留学し、名門予備校のペイプルウィッグ(年間授業料3万5000ドル)で一年、それから「ヘイロウ・スクール」(英国で一、二を争う名門私立高校。年間4万8350ドル)へ運転手付きの豪華車で通った。
父親が商務大臣になったころ、この息子はオックスフォード大学で哲学、経済学を学んだ(年間授業料7万ドル)。そして米国へ渡り、ハーバード大学ケネディスクールへ。同じ大学には現副主席習近平の娘、習明沢がいま、通っていることで知られる。
学校で瓜瓜はランチキ騒ぎや珍奇な服装で知られる一方、武道クラブのメンバーになって少林寺拳法を習った。また「シルクロード」祭りという大イベントには父親の顔で人気俳優のジャッキー・チェンを招いたこともある。
そのくせ「人民に奉仕したい」と公の場ではしゃあしゃあと発言を繰り返し、女友達とチベットを旅行したときは警察官の護衛をつけて貰うほど、庶民の反発を恐れた。しかも、このデートの相手はトウ小平のライバルだった陳雲の孫娘、陳暁丹だったこともフェイスブックなどで流れた。
この程度の放蕩息子、娘らが「次の次」の指導者になるわけだが、しかしその頃、共産党独裁は潰えているのではないか。リビアのカダフィが最後には無惨に殺害されたように。そういえば北朝鮮と中国ではカダフィの死体影像は流されなかった。<註 薄?来の「?」はさんずい不要。王洋の「王」にはさんずい)
杜父魚文庫
8720 中国権力闘争の裏側 宮崎正弘

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