8722 大阪 民主政治の堕落か、新地か 宮崎正弘

大阪維新の会の連勝ゲームは民主政治の堕落か、新地か、「都」を僭称するは歴史意識の欠如だが、誰も問題にしないのは何故なのだ。
大阪での異変を聞いて様々な思いが脳裏に去来した。
第一は「都」という不遜な呼称を無造作に用いる、その語感と歴史認識への大いなる疑問である。大阪には嘗て浪速宮がおかれ、中世の都があった。信長が敵対しても落とせなかった大阪城は石山本願寺、一向宗の聖域であり、宗教の中心地だった。
その後、秀吉は石山本願寺跡に壮大な大阪城を構築し、天下に号令を発する政治都市とした。だが都は京におかれたままだった。家康は政治中枢を江戸に移したが、京に天皇はおられたままだった。
すなわち「都」とは、天皇陛下のおすまいがある場所を指す。
第二は大阪人の反中央という抜きがたいルサンチマンだ。筆者は、大阪人の言動を目撃するにつけ、いつも思い出すのは上方から江戸へと日本の文化と商業の中軸が移動したことへの、名状しがたい反感を感じることである。
そして連想するのだ。なるほど広東人の気質と似ている。
広東商人の挨拶は「おはよう」ではなくて、「儲かりまっか」である。広く福建省を含めた華南の人々は「おはよう」「こんにちは」の替わりに「めし食ったか?」である。
挨拶ばかりではなく、たとえば冠婚葬祭の儀式も異なれば、味も違う。
しかし地域が離れたら言語、文化、立ち居振る舞いがことなるのは当然の現象であって、そのことをことさら問題視しようとは思わない。
いまも広東、福建省、浙江省など華南の人々は反北京である。広東は革命家が輩出した本場である。孫文も洪秀全も、そして共産革命の原動力となった烈士等は、多くが広東省出身者である。
ところが革命の成果は毛沢東ら湖南閥に奪われ、その怨念が堆積している(くわしくは拙著『出身地で分かる中国人』PHP新書)。トウ小平は文革で失脚したとき、広東省の梅県に隠棲し時を待った。梅県は葉剣英の地盤で、ここに毛沢東は手出しが出来なかった。
浪速の人々は京都人ほどではないにせよ、『東京から再遷都を』と秘めた、同じルサンチマンを筆者はつねに感じている。
▲中国では革命の狼煙は華南からあがったが・・・。
第三はオチャラケ、貝殻追放という連想である。しょせん、デモクラシーなるはポピュリズムを基底とする衆愚政治である。
かつて大阪府民は知事に横山ノックを選び、参議院議員には西川なんとかという漫才師を選び、そのオチャラケに現れる底流の意識にあるのは、中央に一泡吹かせるという無意識的願望が含まれるのではないか。
この流れは全国に伝播し、長野県知事にぺりぐろ、宮崎県知事にそのまんまを選ぶ流れに繋がっている。ふざけているとは言わない。しかしまじめではないことも確かではないのか。
ソクラテスは貝殻追放というデモクラシーを嫌ったが、「法治」を尊重し、衆愚が死ねと言えば、毒杯を仰いで死んだ。民主主義が文明の敵であることは古今東西、変わらない真理である。
第四は、しかし所詮「地方自治」の枠内であり、大阪で「維新」とか『改革』とか叫んでも、地域的政治勢力の輪の中だけの効果しか生まず、つまり全土を席巻する台風ではありえず、或る地域限定の突風か、つむじ風だろう。
選挙は椅子取りのゲームであり、この競技の技に通じた集団が勝ったということである。
しかしながら選挙戦を通じて見聞きした、その維新を実現させるという登場人物の多彩さ、いかがわしさに祖国への燃えるような愛と、正気、その至誠が疑わしいところがありはいないか。
杜父魚文庫

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