雑談になってから、私は岸元首相に尋ねた。「韓国は貧しい国です。これが満足に食べていける国になるでしょうか。先生の長い経験から見ていかがなものでしょうか」~「若き将軍の朝鮮戦争」p422より白善?(ペク・ソニョプ)韓国初の陸軍大将
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当時フランス大使だった白さんは、チャーチル元首相の国葬に参列した特使岸信介元首相と会いました。1965年ロンドンでした。岸さんの解答は。。。
■率直なお話
(転載始)「それは心配しないでよいと思います。日本でも経済構造に変化が生じて、産業や技術の移転が始まります。そうなると、お国にも経済発展が波及していきます。この関係は日本と欧米とのあいだでもあったことです」
そういうものかと聞いていたが、旬日を経ずしてそのとおりになった。私は、さすがに慧眼(けいがん)と感心させられたものであった。(終)
■日本語と英語
ペク将軍は旧日本陸軍の将校でもありました。この本もご自身が日本語で書かれたものです。盧武鉉政権時代には“見事に”親日派としてリストアップされました。
李承晩初代大統領の時代には大統領と共に建国・国づくりに活躍しました。また「よど号ハイジャック事件」ではソウル空港で英語ができない犯人側と“日本語”で交渉し解決に尽力されました。
最近の日韓関係のように何が何だかわからないのではなく、それなりに意思の疎通はできていたようです。
■銭の切れ目が縁の切れ目か
戦後の日韓基本条約(1965)年、日本が無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力をし、韓国が一切の対日請求権を放棄することで決着しました。
最近は“足らなく”なったのか、慰安婦問題で恥ずかしげもなく、また要求をしてきました。今度の大統領も自分の不適際を日本に擦り付けるようです。日本側は李大統領と歴史認識を同じくする政権ですから話は早いと思います。財源は「増税」で賄うのでしょう。目出度し、目出度し。
■日韓民間交流(同上書より転載)
(始)こうして日本からの外貨導入、技術移転が可能となり、コンビナートの建設が始まった。工事には多くの日本人が参加したが、こういう人もいた。湖南肥料の反応塔を修理しなければならなくなり、足場を組むことになった。
当時、韓国には高所作業をする鳶職(とびしよく)がごく少なく、多くを日本の鳶職に頼っていた。この工事にも日本の鳶職のかたが参加したが、ある日、親方が行方不明になり、警察に捜索願を出す騒ぎとなった。心配したが、一週間ほどたって彼はひょっこり帰ってきた。
この人は韓国で生まれ育ったのだそうだ。作業の合間を見て、日本からの土産をもって故郷の村を訪ねた。彼は村あげての歓迎を受け、つい長居してしまったのだそうだ。いい話ではないか。韓国と日本のあいだだからこそ、ある話だ。このことを耳にして、日本とジョイントを組んで本当によかったと思ったものである。(終)p436
■捏造でない友好
韓流ドラマに始まり、NHK大河ドラマの歴史認識“ねじ曲げ”にも関与する「理由・意図」は何か。「銭だけではあるまい」と思ったりもするのであります。世は「さよく」全盛でありましょうか。
お勧めサイト
・杜父魚(かじか)文庫ブログ
「「国民」を安易に使うまい 岩見隆夫」
http://blog.kajika.net/?eid=999716
・「三橋貴明「富裕者層」と「貧困層」を解説 危ない!
http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/2521275/
杜父魚文庫
8729 【強盛韓国】 MoMotarou

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