8778 菅前首相には聞けども聞こえない被災地の声 阿比留瑠比

昨日のことですが、菅直人前首相はTBSの番組に出演し、MSN産経ニュースによると、政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を活用しなかった問題についてこう述べました。
「経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長(当時)から『SPEEDI』という言葉を(事故当初に)聞いたことを思い出せない」
「思い出せない」って……。そして、菅氏はその上で「放出された放射性物質はどこにたまりやすいか。早い段階で的確に判断して逃げる範囲を決められなかったのは最終的に私の責任で、申し訳ないと思っている」と陳謝したそうです。
まあ、これが国会答弁でも記者会見でも「首相としてやるべきことはやった」と何度も胸を張ってきた菅氏の実態ですね。何をやってきたんだか。この人についてはもう触れたくもないのですが、前回のエントリで鳩山由紀夫元首相に言及してしまったので、毒を喰らわば皿までの心境で取り上げました。
さて、新聞紙面では以前書きましたが、私の取材では、SPEEDIについて保安院と文部科学省に「勝手に情報を出すな」と3月17日に指示したのは当時の枝野幸男官房長官(現経済産業相)です。そしてこの日、東電福島第1原発から比較的離れているにもかかわらず、後に全村避難となる飯舘村付近で高い数値が観測されていたそうです。
これは、事実関係を知る政府関係者が証言したものですが、だとすると、SPEEDIの不活用どころか隠蔽になりますね。政府関係者は「まあ、震災発生直後の大混乱期で枝野さんも混乱していたから…」とかばいはしまたが、官邸内ではその後、SPEEDIについて「官房長官の指示とはいえ、早く公開した方がいいのではないか」と何度も議論されていたそうです。
というわけで、前振りが長くなってしまいましたが、私は昨日、福島市飯野町の福島市役所飯野支所内にある飯舘村の飯野出張所(避難後の村の拠点)に行き、菅野典雄村長に話を聞いてきました。菅野氏にインタビューするのは4月末か5月頭ごろに行って以来、2度目です。
村の現況その他いろいろと聞きました。できるだけ村にとどまることを模索した菅野氏に対し、以前は多かった激烈な批判メール(「村民をモルモットにするな」など)が減り、だんだんと励ましが増えたそうです。その中で、菅野氏が菅氏に対して、こう吐き捨てたのが印象的でした。
「菅さんよ、首相を終えたのなら、四国にお遍路に行くんじゃなくて、仮設住宅を歩くのが普通じゃないかと言いたい。悲しいですね……」
菅野氏は、前回話を聞いたときも、菅首相(当時)をはじめとする菅政権の「心のなさ」を批判していましたが、やはりその思いに変化はないようでした。ごく当然のことだと思います。しかし、こうした被災地の声も、菅氏には決して理解できないのだろうなとも感じました。なにせアレだから。
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました