年の暮れ、窮鼠(きゅうそ)同然の野田佳彦首相である。では、猫を噛(か)むのか。そのへんが見えにくい。あす野田首相は中国を訪れ、続いてインドに出掛けるという。窮鼠猫を避けて海外に遁走(とんそう)、と言われそうだ。
今週初め、昨今の野田について、民主党幹部の一人と次のやりとりをした。「このきわどい時期、日本を留守にするのはいかがなものか。中印との間に緊急の懸案があるわけでもない」
「いや、まあ総理は、しゅ・は・り、の方針で着実にやっている」
「何です、それは」
「知りませんか。守・破・離。武道などの修行のやり方を3段階に分けたもので……」
「ほお」
「いまの総理は<守>、これから<破>、そして<離>と順に」
剣道、空手道などの解説書によると、<守>は流儀を忠実に守り型通りにやることで、それがひと通り終わるころに、型を破る努力をする。<破>だ。さらに修行を重ね、高い段階に進むことができれば、<離>の境地に至る。
武道だけでなく、書道、茶道、華道などでも、修練の精神は同じだという。政治家の道はどうなのか。
野田は就任以来約4カ月、最初は世間からかなり期待の目でみられていたが、最近は不支持率が支持率を上回り、「いつまで安全運転だ」と批判にさらされている。まず2閣僚問題で、つまずいた。野党による問責決議の前に処置できず、臨時国会を閉じ、国家公務員給与削減法案など重要法案を軒並み先送りしてしまった。
身を削らないまま、歳出カットに不熱心なまま、<税と社会保障の一体改革>に、「不退転の決意で」と繰り返しても、空疎に響くばかりだ。こうした一連の野田流儀を、武道の<守>と言い換えていいものか。
守・破・離と似たのに、運・鈍・根がある。かつて、保守政界で政治家の心得としてよく使われたが、最近はあまり聞かない。運を大切にし、鈍重に構え、根気よく励む、ということだ。
対照的である。守・破・離は、<跳ぶ時は、思い切って跳べ>と求めているのに対し、運・鈍・根は、<あせらず、地道に汗をかけ>
と教えている。この国難の時節、どちらに時代の要請があるのか。自民党の伊吹文明元幹事長は<いぶきの国会レポート>(12月号)に、
<民主党マニフェストは、票を取るための嘘(うそ)、絵空事だったのは国民の知るところとなりました。来年こそ「嘘のない政治」にしたいものです>
と書いた。無理な跳び方をしてロスばかり目立つ民主党政治を戒めている。伊吹も自民党も運・鈍・根派だ。
一方、辛らつ発言で知られる経済学者、浜矩子(のりこ)同志社大教授は、「野田よ、怒れ! 怒るとアドレナリン(血圧を上げ心臓の働きを強めるホルモン)が出てくる」(12月18日の民放テレビで)
とけしかけた。守・破・離派だ。<守>はほどほどにして<破>に手を染めろ、と促している。
しかし、肝心の野田は鈍重に映る。党内の消費増税反対派がしゅん動しても怒る気配をみせない。アドレナリンが足りないようだ。
あと1週間で年が替わる。野田は著書のなかで、政治家が備えるべき資質に、夢・矜持(きょうじ)・人情をあげた。それもいいが、いま求められているのは突破力だ。
新年、面目を一新してほしい。(敬称略)
杜父魚文庫
8840 「守・破・離」で、と言うが 岩見隆夫

コメント