24日産経新聞の1面トップに頭を捻った。「正恩氏母は在日、最高機密に 口外厳罰、周知の朝鮮総連を危険視」というのである。それなら彼女を妻にした正日はおかしなことをしたもんだね、となりはしないか。
日本の諺では「隠すことは現る」という。つまり、隠し事は、隠せば隠すほど人々の注意を引き、早く知れ渡ってしまう」ということ。「隠せば愈々現る」「隠すより現る」ともいう。
英語でも似たような諺がある。What is done b night appears bay. 夜行なわれることは、日中現れる。(旺文社 「成語林」)
北朝鮮だけは、これが通じないと考える人がこうした噴飯物の指導をしているのだとなると、これから先も幾多の噴飯物事件が起きるだろう。
<北朝鮮の金正日総書記死去を受け、朝鮮労働党中枢が新指導者の正恩(ジョンウン)氏の母、故高英姫(コヨンヒ)氏が元在日朝鮮人である出自は正恩氏神格化の妨げになると判断、「最高機密」に指定し、口外すれば厳罰に処す方針を固めたとの内部情報が23日、判明した。
党中枢は事実を知る在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の存在を危険視し始め、関係見直しも検討。北朝鮮の支配の下、重要な資金源ともなってきた朝鮮総連の位置付けが大きく揺らぐことになる。
内部情報は、北朝鮮の民主化に取り組むNPO「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)が党中枢部から入手した。
党中枢が金総書記死去後、正恩新体制出帆に向けて正恩氏をどう奉っていくかを協議する中で、方針が打ち出されたという。
高氏は大阪生まれの元在日朝鮮人で、10代前半の1960年代初頭、一家で北朝鮮に渡り、金総書記との間に三男の正恩氏のほか、次男の正哲(ジョンチョル)氏をもうけ、2004年に死去。北朝鮮国内では一時神格化する動きもあったが、出自については触れられてこなかった。
在日出身者の間では公然の秘密
ただ、北朝鮮国内の在日出身者の間では公然の秘密で、口外した在日出身者が厳罰の対象となる可能性が高い。処罰内容は示されていないが、政治犯収容所送りになるとみられる。
一家の神格化によって権力の正当化を図る金政権にとり、高氏の在日という出自は正恩氏の血筋の純粋さを傷付けかねないことから、「最高機密」扱いの判断が下されたようだ。
かといって、日本に住む在日朝鮮人には周知の事実であるため、同時に朝鮮総連との関係を見直す方針も示されたという。
朝鮮総連は労働党支配下で政権を潤す資金源の役割を担ってきたが、「危険な秘密を知る組織」とみなされ、重要拠点としての存在意義が“格下げ”されるとみられる。
朝鮮総連側にはまだ通知されていないとみられ、弔問で訪朝する幹部に示される見通し。実際に指示が下れば、朝鮮総連側の大きな動揺が予想されるほか、総連を窓口とする日朝関係への影響も避けられない。>産経ニュース 2011.12.24 11:28
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による高英姫
高英姫(コ・ヨンヒ、1950年6月16日 – 2004年8月13日)は、朝鮮民主主
義人民共和国(の最高指導者金正日の夫人の一人で、金正日からは日本風に「あゆみ」と呼ばれ、最も寵愛を受けていたとされる。金正哲・金正恩・金ヨジュンの実母。本名は高春幸(コ・チュンヘン)。本貫は済州高氏。
日本の大阪市生野区鶴橋のコリア・タウンで生まれた。家は父と母親、兄と2人の弟、妹の7人家族だった。北鶴橋小学校在学中の1961年11歳の時、5月に家族全員とともに北朝鮮に渡った。
平壌芸術大学卒業後、1971年頃、万寿台芸術団に入り、舞踊家として活動、そこで金正日に見初められ、出会ったとされている。
また、父の高太文は北朝鮮国内で柔道の指導者となり、同国の柔道の発展に力を尽くしたので、その縁で金正日と知り合ったとの説もある。
1973年7月30日の万寿台芸術団訪日時には、芸術団の一員として、柳日淑(リュ・イルスク)の芸名で来日している。
以前から重病ではないかという説は囁かれていたが、2004年の夏、フランスパリのジョルジュ・ポンピドゥー(Georges Pompidou)欧州病院で癌により死去。
遺体は、豪華な棺に入れられて特別機で北朝鮮まで搬送された。高英姫の訃報に接し、夫である金正日は泣き崩れたといわれる。
家族
父:高太文(コ・テムン) ― 柔道家、プロレスラー
兄:高勝恩(コ・スンオン) ― 北朝鮮国家体育委員会柔道指導員
弟:高勝方(コ・スンバン) ― 平壌演劇映画大学映画技術教員
弟:高勝海(コ・スンヘ)
妹:高英淑(コ・ヨンスク、1958年 – ) 2001年10月アメリカへ亡命
父について 父の高太文(コ・テムン 日本通名:高山州弘、リングネーム:大同山又道、1920年1月10日生まれ)は柔道家(講道館6段とされる)で、後に大阪でプロレスラーとなった。
日本のプロレス草創期、1956(昭和31)年2月に新団体「東亜プロレスリング協会」を旗揚げしたことでプロレス史に名を残す。大同山は当初より朝鮮民族であることを自ら誇っていた。
しかし、日本タイトルを賭けて行われた同年10月15日から10月24日のウエート別統一日本選手権大会において芳しい成績を収められなかった。
この試合で戦績を残せたのは力道山率いる日本プロレスだけで、敗退した他団体(東亜プロレス含む)は翌年までに活動停止・消滅してしまう。彼は自団体と命運を共にし、プロレスそのものから廃業した。
杜父魚文庫
8843 正恩氏「母在日」は最高機密 渡部亮次郎

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