8905 『重慶モデル』と『成都モデル』の差異に注目 宮崎正弘

見えない都市間の競争関係が、中国の次の経済モデルたりうるか。いったい昔の中国の町並みは、北京・上海・広州・天津・杭州などの近代都市の摩天楼の林立からは、およそ見当もつかなくなった。
現在の中国の都市空間は、あまりにも近代的であり、たとえば天安門の斜め向いに建てられたオペラハウスは欧州そのものであり、花火火災で残骸をさらすだけの中央電視台の巨大摩天楼は中華文化とは無関係のシュールレアリズム的フランス人の設計。奇妙なほどにアンバランスである。そこには中華の息吹がない。中華の文化の臭いがしない。
一昔前なら北京の裏町へひょいと立ち入れば、そこは胡同が迷路のように入り組んで、突き当たりに伝統的な四阿(あづまや)があった。
伝統的な宋代の建物など、文革の破壊の嵐をのがれた古刹もあったが、ビルに囲まれてしまって、どの地方へいっても古刹のたぐいを見つけ出すのは至難の業となった。
たとえば西安で空海の留学した青龍寺を見つけ出すのに時間がかかったことを思い出す。福州の開元寺も「しもた屋」がならぶ殺風景な町の奥にあった。
宋の時代を懐かしむことが可能なのは河南省開封の「宋街」、北京の瑠璃蔽の一帯、天津の老街、肝心の南宋の都が置かれた杭州には宋の王朝跡が小さな公園になっただけで、壁面の彫刻をみて初めて、この地で宋が滅んだことが分かる程度である。(中国が歴史を大事にする国? 嘘つけって感想である)。
ヨーロッパの諸都市は、それぞれが歴史と伝統を再現するかのように、古城を囲んでの古い町並みが文化遺産として残り、それぞれの個性を主張している。
中国でのそれは大都市の一部地域にしかなく、たとえば上海の豫園、南京の夫婦廟。地方都市へ行っても瀋陽、南京に宮城跡。平揺、鳳凰城。長春の摩天楼街は日本時代の近代の建物しかなく、哈爾浜へ行けばロシア時代の老街がのこり、いずれも観光資源である。
なにを言いたいか。中国の都市に中華伝統がなくなり、それぞれが個性を失って、ひたすら欧米風の街作りに血道を上げた結果、中国の伝統的文化が絶えようとしている実態である。
▲儒教は復活するのか,或いは新発展の段階か
ダニエル・A・ベルという政治思想、敵視哲学を語る学者がいる。著名な社会学者ダニエル・ベルと同名異人(遠戚らしいが)、カナダ生まれでオックスフォード大学からシンガポールへ移り、いまは上海交通大学と北京精華大学教授。
 
このベルが、「中国は儒教に復帰しつつある」と唱えだしたのが数年前であるが、おりから中国は世界各地に「孔子学院」を開設し、そのソフトパワーを世界に輸出して、文化的影響力を世界に同時にひろめようと躍起となった。
ベル教授は、「いまの中国は都市と都市が政治連合を形成しつつ、それぞれが競合している」として、その観察をまとめた。
「ヨーロッパの都市間の熾烈なライバル関係のように、中国の都市それぞれが欧米風な佇まい(たたずまい)で画一化されたように外見上はみえるが、内部では苛烈な都市のライバル競争が隠れている」(『ヘラルド・トリビューン』、1月7日付けコラム)。
くすんだような合一性が外見の表面をかざり、地方伝統の基づく特色を封じ込めたので、中国はあたかも強固な中央集権国家に見誤りがちとなる。ところが都市間の競争関係は経済方面を眺めると顕著になる。
ヨーロッパの都市の競合と共存関係のように、中国の都市それぞれは競合と共存、まるでヨーロッパ的関係で結ばれている。
都市と都市には所得格差が拡大し、経済改革に後れを取った地域は貧困に喘ぐ。戸籍の問題がまだ方付いていない。たとえば3300万人人口の重慶は、中国一の都市とはいえ、農村人口が2300万人。薄き来書記は、重慶に乗り込んで以来、庶民の味方として古参幹部や既存特権階級とマフィアと退治して『重慶モデル』を鼓吹してみせたが、「もうひとつの重慶モデル」を展開した。
 
それは農村戸籍を大幅に緩和し、都市へ流れ込んで就労する農民に都市戸籍を与えだしたことだ。この規制緩和も「重慶モデル」の変形で全土に先駆けた。
この政策変更によって重慶市の都市部には農村から800万人が流れ込んで、他方では治安悪化、暴動の頻発を産んだが、新しい実験は続けられている。
▲重慶モデルより成都モデルに注目が集まる
対照的に,重慶市のとなり成都は、おそらく中国で唯一,均衡がとれた発展をしている都市であろうとダニエル・ベル教授は推定する。
理由は成都も農村部から三分の一ほどが市内に流れ込んだものの、それ以前に開発区を多く造って、それらの地域に雇用機会をつくり、集中的に住まわせた上で、社会保障と医療サービルも都市戸籍保有者同様の扱いとしたことだった。
成都は杜甫や劉備玄徳、諸葛孔明でも有名な「蜀」の都、季候にやや恵まれ土地は肥沃であり、土地の人々は伝統的に、というより三国志のいにしえより独立覇気が強く、多くの多国籍企業がこの地に開発ラボラトリィを開設した。
その発展にダイナミズムがあり、新幹線も重慶や大充などへ繋がって、市内に近い空港は二十四時間営業、小生も駅前のホテルに何泊かしたことがあるが、ほかの都市より快適で、かつ便利な生活ぶりに驚かされたことがある。
 
中国の都市間のみえない競争も所得格差、逆に所得格差是正、雇用増大と雇用壊滅という好対照を伴い始めた。
杜父魚文庫

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