8920 連合・山岸元会長の悲嘆と小沢氏裁判と 阿比留瑠比

さて、昨日の夕刊フジで政治評論家、鈴木棟一氏のコラムに興味深い内容が記されていたので紹介します。それによると、民主党最大の支持団体である連合の会長を長く務めた山岸章氏から、
「もう民主党には愛想が尽きた。出直しが必要です」と書かれた賀状が届いたとのことでした。で、鈴木氏が10日に改めて聞いたところ、山岸氏はこう述べたと書かれています。
「最も極端な見方をすれば、自民政権と民主政権のどこが違うのか分からない。ただし、よく考えると一つだけ分かったことがある。それは、自民党政権より悪くなった、ということだな」
「原発対応、経済政策、尖閣、普天間など外交防衛で方向音痴になっている。震災対応もまだ、ほとんど進んでいない。なんですか、あの野田の収束宣言は。本当に野田は収束したと思っているのか。野田はもう一度小学校から行き直して収束の意味を勉強すべきだ」
……これを読みつつ、そういえば民主党は、長年の財界の応援団だった某京セラ会長からも愛想を尽かされていたな、と思い出した次第でした。と同時に、この山岸氏が平成19年に、産経新聞のインタビューで細川護煕政権についてこう語っていたことも連想しました。
「細川政権が発足して首相官邸が自分のものになった気がしたよ。天下をとった気分だね。ところが、44年間の組合活動で味わったことのない高揚感が、政権発足後わずか一ヶ月で失望に変わった」
まあ、連合が細川政権や民主党政権誕生の牽引役となったわけですから、これまた「お前が言うな」の世界ですが、つまるところこれが実感なのでしょうね。橋下徹大阪市長ではありませんが、今の時代の労組の政治活動って……と、あれこれ考え込んでしまいそうになります。
で、ここで牽強付会かつ我田引水的に話は飛ぶのですが、10、11日と続いて細川政権と民主党政権成立の立役者である小沢一郎氏の被告人質問が行われましたね。これについては、新聞各紙がさまざまな角度から報じているし、小沢氏については過去、私もいろいろ書いてきたのでやめようかとも思ったのですが、どうしても一つ触れておきたいのでここに記します。
私が引っかかったのはまず、小沢氏が、自身が代表を務める資金管理団体、陸山会の政治資金収支報告書について、これまでも自身の公判が始まった後も「見たことも、内容について報告を受けたこともない」と言い切ったことです。
あるいは法廷戦術であるのかもしれませんが、これは小沢氏のこれまでの主張に照らすと許し難い言いぐさです。小沢氏はこれまで、
「私の政治資金の処理においては、使途不明の資金や他の経費の付け替えなど不正や虚偽記載は一切ない」(平成19年1月23日付産経)
「大事なのはディスクロージャー、オープンにすること。違法行為は司法が取り締まる。妥当性はオープンにすることで、税金を納めた国民、献金した国民が判断する。オープンにされていなければ国民は、判断のしようがない」(同年2月28日付毎日)
などと繰り返し強調し、自身の政治資金収支報告は国会議員の誰よりも透明だと主張してきました。これを真に受けた小沢氏シンパのジャーナリストなどは、自分で調べもせずに、小沢氏は誰よりも情報公開をしているなどど書いていましたが、なんのことはない、小沢氏自身が自分の収支報告書のチェックも何もしていないというわけです。なんとばかばかしい。
鳩山由紀夫元首相は幹事長時代の平成21年3月に、小沢氏の政治資金について
「小沢代表はすべての政治資金の収支、入りと出を1円単位まで、非常に厳密にオープンにされている。まさに政治家の鑑のような存在で、ディスクロージャーを旨として行動されている政治家代表だ」
と臆面もなく持ち上げ、後にフジテレビ番組で、実は小沢氏の政治資金収支報告書を見たことはないと「告白」していましたが、結局、東京地裁での証言が事実ならば小沢氏も鳩山氏と同じレベルでものを言っていたということになります。ああ、くだらない。自身の収支報告書も確かめないで無謬を誇り、無罪を主張してきた?……はいはい、何とでもおっしゃい。
ちなみに、小沢氏は平成21年3月の党代議士会で、近藤洋介氏から
「素性のなかなか分かりにくい団体から、なぜ長期間にわたって数千万円を超える献金をもらい続けたのか」と聞かれた際、文書で次のように答えました。
「収支報告書に正確に漏らさず記載させていただいております。収支報告書は総務省のホームページでご覧いただけますので見ていただければと存じます」
……収支報告書をいくら見たって、「なぜ」という問いに対する答えなど見つかりません。この肝心の収支報告書を小沢氏は見たこともないと胸を張るわけですが、この人を小馬鹿にしたようなやり方こそが、小沢流ディスクロージャーの正体であり、その実、有権者にも所属議員にも何も本当のことを公開しようなどとしていません。
それと今回の被告人質問では、やはり、どう考えても不必要な秘書寮とやらに購入する金に充てた原資4億円に関する説明の二転三転も情けないし、みっともないですね。小沢氏は
「献金してくれた皆様のお金」(19年2月)→「自分が銀行から借りたカネ」(21年10月)→「東京・湯島の自宅売却代金や家族名義で銀行に預けていたカネ、事務所の金庫にあるカネ」(22年1月)→「私のカネ」(23年10月)→「両親から相続した湯島の自宅など不動産の売却代金や現金、著作の印税、議員報酬などもろもろ」……と説明を変えてきました。
でも、昭和58年1月には産経新聞のインタビューに、こんなことを述べているわけです。
「最も人間的に好きなのが西郷隆盛である。(中略)『子孫のために美田を残さず』との言葉も味わい深い。私の亡父(佐重喜元建設相)も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」
これでは西郷南洲翁も泉下で泣こうというものです。まあある意味、小沢氏は南洲翁が言ったのとは異なる点で「始末に困る人」ではありますが。さて、野田佳彦首相は明日の内閣改造で、どんな人事をするのでしょうね
杜父魚文庫

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