8954 「味の素」発明は104年前   渡部亮次郎

「味の素」に特許権が降りたのは104年前だった。経済産業省特許庁は発明した東大教授池田菊苗(いけだ きくなえ)を日本の十大発明家の1人として顕彰している。
また、食品添加物として広く普及し日本のみならず世界の人々の食生活を豊かにした、と言っているが、昭和20年代の東北や北海道には味の素は無かった。昆布があり過ぎたからでもあるまい。
発明した池田菊苗は、元治元年(1864)京都に生まれた。明治22年東京帝国大学理科大学化学科を卒業し、明治32年から2年間、ドイツに留学した。
帰国後、明治34年に東京帝国大学教授に就任した。彼は、専門の物理化学の研究を行うとともに日本人の生活の改善と社会の進歩に直結するような応用研究に関心を持ち様々の研究を行ったが、この中に昆布の「うまみ」の研究があった。
彼は、昆布のうまみの成分を解明すれば調味料として工業的に生産できるのではないかと考え、研究を続けた結果、うまみの成分が「グルタミン酸ソーダ」であることを突き止めた。
これを主要成分とする調味料の製造方法を発明し、特許権を得た(特許第14805号、明治41(1908)年7月25日。我が母の生まれし年なり。今から104年前)。
「グルタミン酸ソーダ」は、彼の働きかけによって商品化され、調味料として広く売り出された。このグルタミン酸ソーダは、品質が安定しており食物に独特のうまみを与えるため、食品添加物として広く普及し日本人の食生活を豊かにした。
これが今日の「味の素」である。工業化をどこにさせるか。熟慮の結果、池田が依頼した先は鈴木三郎助。味の素株式会社の創設者である。
また、海外にも調味料として広く受け入れられた。彼は、大正12年に東京帝国大学を退官した後もグルタミン酸ソーダ製造技術の完成に熱意を注ぎ、主として甜菜糖の廃液を原料としたグルタミン酸ソーダの製造法の研究に従事した。昭和11年(1936)没。筆者の生まれた年だ。
ところで「味の素」株式会社の事である。
<味の素[株] あじのもと 〈味の素〉で知られる総合食品化学会社。2代目鈴木三郎助とその家族によって1888年創業された鈴木製薬所が前身。
神奈川県葉山で,ヨード製造を家内工業で行っていたが,化学薬品にも手を広げ1907年合資会社鈴木製薬所に改組(1912年鈴木商店)。
東大教授池田菊苗が08年に取得したグルタミン酸調味料製造法の特許の工業化を依頼された鈴木は,新化学調味料の製造に取り組み,同年11月〈味の素〉の名で売り出した。
しかし当初はまったく売れず,軌道に乗るまでに10年近い年月を要した。大正の末からは順調に伸び,海外へも輸出されるようになった。
35年宝製油(株)を設立(1944合併),味の素の原料となるダイズ油の製造を開始。第2次大戦後,46年2月社名を現社名に変更,50年に原料・製品の統制撤廃後は,急速に生産水準を回復,52年には戦前水準に戻った。
その後,グルタミン酸ソーダの製法転換(植物タンパク分解法から発酵法へ)に協和鍋酵工業に続き成功(1959製造開始)。これに伴い油脂関連部門を拡大,この部門でも大手になった。
また,多角化を進め,総合食品化学会社への脱皮に成功した。とくに加工食品部門の拡大が著しく,61年にスープ,63年コーンフレーク,68年マヨネーズ,70年マーガリン,調理済み冷凍食品と,相次いで新分野に進出した。
73年にはゼネラル・フーズ社と提携し味の素ゼネラルフーヅを設立,インスタントコーヒー等にも進出。最近では,飲料・乳製品部門,加工食品部門が調味料部門を上回る。
さらに海外進出の面では,戦後も1958年にフィリピンで味の素の生産を開始したのを最初に,欧米,東南アジアを中心に進出しており,海外売上高比率は連結ベースで2割に達する。また近年は発酵技術を生かして医薬品分野への進出に力を入れている。>(世界大百科事典)
杜父魚文庫

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