8995 東京裁判と竹山道雄氏の半世紀以上前の書と 阿比留瑠比

昨夜、東京・西荻窪で会合までの時間つぶしに古書店をのぞいたところ、以前から探していた竹山道雄氏の「ヨーロッパの旅」(新潮社、昭和32刊行)を見つけました。50年以上前の本にしてはきれいな状態で、なんと100円でした。
この本には、竹山氏が昭和30年から31年にかけてイタリア、スイス、ドイツ、オランダを歩いて見聞きしたこと、考えたことが記されています。この本を私が手元に置いておきたかったのは、竹山氏が東京裁判のオランダ代表だった旧知のローリング判事を訪ね、東京裁判について意見を交わす部分がとても興味深いからです。竹山氏はこう書いています。
《……長身のローリング氏が玄関に立っていて、「待っていました、タケヤマサン」といって、しっかりと手を握ってくれたときはうれしかった。
書斎に通されて、坐って、八年ぶりの再会の挨拶もすまないかのうちに、話はもう極東裁判のことになった。「あの判決はあやまりだった」と、ローリング氏は感慨をこめた面持ちでこちらをじっと見入りながら、いった。「もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘虜虐待など通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にはならなかっただろう。おおむねインド人のパルのように考えただろう」(中略)
ローリング氏当時の同僚のある人たちにはかなりの不満をもっているように察せられた。首席検事の人物については、ある手きびしい批判をしていた。
「右のようなことはあったが、しかし何といってもあの裁判のあやまちを生んだ最大の原因は、結局は日本の内政の歴史の真相が分からないことにあった。あまりにも錯雑して、どれが表でどれが裏だか見透せなかった。あの歴史の個性がついに発見されなかった。それでナチスからの類推をしたようなことになってしまった。私自身も赴任するまでは日本について何の知識もなく、研究するにしたがってじつに五里霧中を迷った」》
……いい買い物をしました。この竹山氏とローリング判事の会話については、2005年8月1日付の産経の東京裁判特集の紙面で《■オランダ判事「裁判誤り」、竹山道雄氏に後年吐露
小説『ビルマの竪琴』の作者として知られるドイツ文学者の竹山道雄氏(故人)は昭和二十二年に偶然、東京裁判のオランダ代表判事、ローリング氏と知り合い、裁判について親しく意見を交わすようになった。
竹山氏の著作『昭和の精神史』などによると、ローリング氏は「東郷をどう思うか」とA級戦犯とされた東郷茂徳元外相について意見を求めたり、裁判への疑問を述べた竹山氏に対し、「いまは人々が感情的になっているが、やがて冷静にかえったら、より正しく判断することができるようになるだろう」と漏らしたりしている。
ローリング氏は二十三年十一月の東京裁判の判決時には、オランダ政府の意向に逆らい判決内容に反対する意見書を提出。意見書は被告全員を有罪とした本判決とは異なり、畑俊六、広田弘毅、木戸幸一、重光葵、東郷茂徳の五被告に無罪判決を下した。
それから八年後の三十一年、オランダを訪問した竹山氏に対し、ローリング氏は「あの裁判は誤りだった」と東京裁判を批判。さらに「もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘虜虐待などの通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にはならなかっただろう。おおむねインド人のパルのように考えただろう」と振り返っている。》
と書いたことがあったのですが、いつのまにか引用した原典がどこかにいってしまい、気持ちが悪かったのでした。
で、きょうはゆっくりこの本を読んですごそうと思っていたところ、発熱、嘔吐、全身倦怠、頭痛などの諸症状がいっぺんに出て夕方まで起き上がれませんでした。人生、いいことも悪いこともいろいろありますねえ。
杜父魚文庫

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