これまで複数回、台湾の総統選挙を取材したが、今回は日本の台湾統治の後片づけは終わっていないという特別な想いを抱いて帰国した。敗戦後の日本は戦後の台湾事情に関しては基本的に無関係で過ごしてきた。台湾だけでなく日本が戦前かかわった国々の国内政治にはなんの介入もしなかった。それは当然のことではあるが、はたしてそれでよいのかと考えさせられた。
総統選挙は国民党の現職、馬英九氏の勝利に終わった。勝因は現状維持を求める台湾人の意思の反映、野党候補の蔡英文氏が争点を絞り切れなかったため、などと分析された。
じつは今回の選挙は、台湾人の政党である民進党が初の女性総統候補の蔡氏の下で国民党を追い上げ、際どい接戦になると見られていた。であれば、勝つためになりふり構わぬ買収や選挙妨害もありうるとの懸念から、公正選挙監視委員会がつくられた。民進党が軸になってつくった同委員会は米仏蘭豪加などに日本も加わって7ヵ国26人で構成した。監視団は投票前から台湾入りし各地を調査した。
委員会は選挙を「おおむね自由だったが、公正ではなかった」と結論づけた。公正ではなかったとした理由の一つが国民党のすさまじい財力の影響だった。
国民党はおそらく世界一の金持ち政党だ。中央研究院社会学研究所所長の蕭新煌(シャオ・シンホァン)氏が語る。中央研究院は国民党が1921年に創設、国共内戦のすえ、49年に国民党が台湾に逃れてきた際に中央研究院も台湾に移った。歴史的に親国民党ではあってもその反対ではないと考えてよい研究所である。
そう問うと、蕭氏は笑って、自分たちは純粋な研究機関で、どの党にも肩入れしていないと語った。その蕭氏が国民党の資産についてこう語る。
「国民党は財力のほとんどを国共内戦で使い果たして台湾に逃れましたが、その後台湾で巨万の富を築いたのです」
尾羽打ち枯らして逃れてきた台湾で、国民党はいかにして富を蓄積したのか。そこに日本が深く絡んでいる。国民党は台湾に中華民国政府を打ち立て、日本政府、企業、個人らが残していった財産を次から次に接収した。彼らの財力の基盤は日本の資産なのである。
国民党はまた49年から87年まで38年間も台湾全土に戒厳令を敷き続けた。かくも長きにわたって戒厳令下にあった国は台湾のほかにないだろう。その間、国民党はおよそなんでもできた。たとえば、開発計画を決め、その事前知識に基づいて土地を安く買い、値上げ後に売るなどは朝飯前だ。
国民党の資産は、膨大過ぎることと外部チェックが働かないように複雑な構成になっているために、全容把握はきわめて難しい。いくつか、優れた研究がなされており、その中に国民党の株式配当による収入は年間約1億ドル(約80億円)という数字があった。別の調査では、2000年から07年までの約8年間で、国民党は証券売却で約11億ドル(約880億円)の利益を得たとも報告されていた。ただしこれらはいずれも「少なく見積もって」という前提付きである。
全容解明にはなお道遠しなのだが、国民党の資金・資産が膨大なことはわかる。それが各地の国民党支部を通じて全国に配られ、利権配分の基本的枠組みとなっていると見られる。
その構図の中で2,300万人の国民は暮らしているのだ。日本の資産が国民党の財政基盤をつくり、党と政府が一体の国家体制の下で国民党はいよいよ権力を強めた。その枠組みの下での選挙であれば、選挙自体が国民党の圧倒的有利になる。日本の歴史的遺産が負のかたちで現在の台湾政治を動かしているのである。
同様のことが朝鮮半島についてもいえる。日本がこうした国々に今も深い関心を抱き、民主主義国家建設に力を貸し続けなければならないゆえんだ。(週刊ダイヤモンド)
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