9070 昭和作家・平林彪吾の息子も満八十歳  古沢襄

松元眞氏のエッセイを読んだ人が杜父魚ブログに感想文を投稿してきた。私の古い友人、テレビ朝日の報道局長だった人である。エッセイは「私の生前契約 松元眞」。それであらためて、この作品を読んだ。杜父魚ブログに収録したのは5年前だが、この作品は12年前に書かれている。
私と同年の昭和6年生まれだから満八十歳になった筈である。年賀状に「年末に思い切って”老人ホーム”に入居致しました。新年のご挨拶を新しい棲家から申し上げます」とあった。
松元氏と私は子供の頃からの付き合い。松元氏の父親は昭和期の小説家・平林彪吾(本名・松元實)。私の父とは同じ文学仲間だった。三十五歳の若さで亡くなっている。古沢元も三十九歳で亡くなった。その息子が同じ様にマスコミに職業を求め、ともに八十歳になったのは何かの縁であろう。
ともにマスコミの職業に満足していなかった。いつの日か、小説で身を立てる野心があったから、同人雑誌に売れない小説を二人とも書き続けてきた。ともに若くして亡くなった昭和作家の域を越えられずに老年を迎えたのも何かの縁かもしれない。
■平林彪吾(ひらばやし ひょうご 明治36.9.1~昭和14.4.28)
鹿児島県出身。本名は松元實。日本大学建築科卒業後、現場監督などを務めた。改めて社会学科に入学。同人誌「大学前衛」同人となり文学を志す。1927(S2)8月国分の士族出身の三嶋信子と結婚。
’31日本プロレタリア作家同盟に参加。「文学新聞」編集に従事した。’34筆名を平林彪吾とする。’35『鵜飼ひのコムミュニスト』が「文芸」懸賞小説に入選。 ’36「人民文庫」に参加、同誌に『肉体の罪』を発表し、人民文庫賞。その他、『震撼された易者』、『女の危機』、『血の値段』などを発表したが、生活は苦しく血を売って小説を書き続け、そのため死期を早めた。
敗血症で逝去。享年35歳。没後’40遺作集『月のある庭』が「人民文庫」同人の努力と火野葦平の好意で出版された。 <コンサイス日本人名事典> <講談社日本人名大辞典>
杜父魚文庫

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