9087 中国、習体制への移行に難題も  古沢襄

米ウォール・ストリート・ジャーナルは王立軍事件をとらえて、中国の胡錦濤国家主席から習近平副主席に世代交代する中国共産党の新体制移行のドラマがスムーズに進むのか?と疑問を呈している。
王氏の総領事館訪問は、13日からの習副主席の訪米の直前であり、中国にとって当惑的な出来事だった。政治アナリストはそれ以上に、この出来事は同国の権力移譲がスムーズに行われることを疑問視させると指摘している。
ウォール・ストリート・ジャーナルは習副主席の訪米は、同副主席を中国の次期指導者として世界に認知させるための動きの一環で、米中という最重要の二国間関係に同副主席がうまく対応できることを誇示するために設定された。これは共産党が今年、団結を誇示してスムーズな権力移譲を実行したいと考えているなかで、重要な外交行事の1つだ・・・と解説した。それが王立軍事件によって北京(中国指導部)が望むほどスムーズにいかない可能性があることを示しているとしている。
<【成都(中国)】先週、中国四川省成都の米総領事館を舞台に繰り広げられた国内の政治ドラマは、習近平国家副主席を中心とする中国共産党の新体制への移行が、北京(中国指導部)が望むほどスムーズにいかない可能性があることを示している。
同総領事館に6日、ある人物が訪れた。それは重慶市の前公安局長である王立軍副市長(52)だった。重慶から成都までは車で4時間の距離だ。王氏はかつて薄熙来共産党委員会書記(政治局員)の右腕だった。薄氏は今秋行われる共産党指導部の入れ替えで政治局常務委員就任を狙っている。
王氏と薄氏は暴力団との戦いで国内で名をはせた。しかし、王氏のキャリアは最近失墜しつつあり、同氏と同氏のボスであり師でもある薄氏の今後の政治的地位に疑問が生じている。
王氏は6日、米国総領事館に到着し、高さ15フィート(約5メートル)のコンクリートの壁の向こうに消え、翌日の深夜まで姿を見せなかった。
一部では王氏が米国に亡命を要請したという憶測が流れた。また王氏は米国の保護下に入ることで時間稼ぎをし、重慶警察当局と薄氏の指示による身柄拘束を避けようと北京の中央当局の支援を求めたのだとの見方もあった。
目撃者によると、王氏の総領事館訪問をきっかけに警察当局は大々的な作戦を講じた。つまり、多数の警察車両が周囲を取り囲み、総領事館までの道路は一般車両が入れないよう封鎖された。また、やじ馬が見物に集まった。総領事館の建物内で、王氏は米外交官と面会したが、米当局者は会談の内容を公表していない。
総領事館を出るまでには、100人の警察精鋭部隊が王氏を待ち構えていた。中には半自動ライフル銃を携行している警官もいた。王氏はそれ以降、公に姿を見せていない。
王氏の総領事館訪問は、13日からの習副主席の訪米の直前であり、中国にとって当惑的な出来事だった。政治アナリストはそれ以上に、この出来事は同国の権力移譲がスムーズに行われることを疑問視させると指摘している。
習副主席の訪米は、同副主席を中国の次期指導者として世界に認知させるための動きの一環で、米中という最重要の二国間関係に同副主席がうまく対応できることを誇示するために設定された。これは共産党が今年、団結を誇示してスムーズな権力移譲を実行したいと考えているなかで、重要な外交行事の1つだ。
しかし、アナリストらは習近平副主席が次期トップに就任するのは確実だとしている一方で、成都の中心街で起こった王氏をめぐる警察の一連の動きによって、中国指導部の入れ替えが障害に突き当たった可能性が示されたと指摘している。また、薄氏の反対勢力が王氏を槍玉に挙げることで薄氏失脚をも狙ったのだと憶測する向きもある。
それ以上に、これは中国の政治動向をめぐるイデオロギー上の対立を示す、とアナリストは指摘している。薄氏は重慶で毛沢東主義を推進し、革命歌を歌う「唱紅」と大衆動員を展開していた。彼の主要な政治ライバルである広東省の汪洋共産党委員会書記はもっとリベラルなアプローチを推進しており、法の支配と土地の権利保護を強調している。
米ボストン大学の中国政治専門家ジョセフ・ヒュースミス氏は「これは開発モデルに係わっており、中国がここからどこへ向かうのかという問題だ」と述べ、「これは、われわれが過去20年間みてきたよりも、はるかに広範囲に及ぶイデオロギー上の次元に係わる」と語った。
習副主席が成都の事件で何らかの役割を果たしたか否かは不明だ。にもかかわらず、一部のアナリストは習副主席が薄氏を快く思っていないと指摘する。薄氏の野心と派手な個性は習副主席のアジェンダ(政策目標)にそぐわない可能性があるからだ。
王氏が最近公安局長のポストを外された理由は不明のままだ。諸説紛々だが、一説には、薄氏追い落としのための証拠集めの1つとして、北京中央が王氏の捜査開始を計画していたという。ただし、一部アナリストによれば、捜査の動きが薄氏に漏れ、薄氏は王氏を重慶で拘束させようと企てたともうわさされている。
王氏の訪問後、重慶市は同氏が病気休暇を取り、「休暇スタイルの治療」を受けていると発表した。中国の多くの人々はこれが身柄拘束をえん曲的に表現したものとみている。
米国務省の報道官は、王氏が同総領事館を後にしたのは、「同氏自身の意思」による行動だったと指摘している。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました