私たち日本人にとって日本語とはなにを意味するのか。この問いかけは外国の非日本語環境で暮らす日本人にはとくにさまざまな形で突きつけられます。
そんな「海外での日本語」に関して、以下のような動きがありました。発端は私が産経新聞のコラムで紹介したワシントン地区の日本語学校での興味ある情景でした。
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ワシントン地区の「日本語継承センター」に小田原市在住の山本章氏からの寄付10万円が届いた。この日本語学校は日本には定住する見通しのない米側の子供たち向けで、5歳から16歳まで約80人の生徒の多くは片方の親が日本人である。
私はこの学校の学芸会でインド系米国人の7歳の少女、リヤ・プラダンさんが楽しそうに日本語を話す情景や、彼女の母、サンギータさんが神戸で生まれ育った 経緯を本紙の「あめりかノート」というコラムで紹介した。1月5日に掲載されたその記事ではこの学校の悩みが財政にある点にも触れた。
すると読者の山本氏から産経新聞東京本社の飯塚浩彦編集局長あてに、「少しでもこのセンターのお役に立てば」という趣旨の手紙とともに寄付金が送られてき た。もう90歳を超えたという山本氏は「インド人母子が米国で日本語を学ぶことに感激しました。いつの日かその母子が私の地区の小学校を訪れてくれれば、うれしいです」とも書いていた。
山本氏の寄付金は2月はじめ、日本語継承センターの創設者の一人の医学研究者、越谷直弘氏を経由して同センター側に渡された。越谷氏は「授業料の負担に苦労している母子家庭向けの奨学金にできるので、ありがたいです」と語っていた。(古森義久)
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<<【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久>>
■日本を超える日本語
どうみてもインド系のアメリカ人らしい少女がなぜ日本語をこれほど楽しげに話すのか。しかも「なまむぎなまごめ…」などという早口言葉を上手に口にするのだ。昨年12月中旬「ワシントン日本語継承センター」の学期末の学芸会だった。この日本語学校には5歳から 16歳ぐらいまでの子供たち80人ほどが通っている。
ワシントン地区での類似の日本語教育施設では文部科学省から認定され、補助を受ける「ワシントン日本語学校」が最大で、やがては必ず日本での中等、高等の教育を受ける日本人子弟に日本語を教える。
一方、日本語継承センターは基本的に日本に定住することはない子供たちを対象とする。片方の親が日本人という生徒が最も多く、米国定住を決めた日本人や国際機関で働く日系ブラジル人の子供たちも含まれる。そんななかでは「日本」の形跡のないインド系少女の日本語はどうしても目立つこととなる。
その少女はリヤ・プラダンさん、7歳、まちがいなくインド系米国人だった。彼女の日本語のナゾは母親のサンギータさんの説明で氷解した。
「私は日本で生まれ育ち、日本語は私の言葉なのです。娘には母の私をよく知り、私の育った文化を理解してもらうために日本語を習わせました。娘は毎夏を日本でも過ごし、日本語の環境になじんできました」
容姿はもちろんインド人だが、日本人とまったく変わらない日本語で語り、家族の名を片仮名でさらりと書いてくれた。
サンギータさんは在神戸のインド料理香辛料販売で知られるビニワレ家に生まれ、12年前にインド系米国人の会計士へマント・プラダン氏と結婚して米国に移るまで、神戸や東京で学び、働いた。だからワシントン地区の生活でも日本人の友人が多く、家庭でも日本語のできない夫とは英語とインドのマラティー語だが、娘や5歳の息子とは日本語での会話が多いのだという。
「夫にもよく指摘されるのですが、私の言動の特徴の婉曲(えんきょく)さなどは日本語が象徴する日本の文化や価値観に起因しているところが大だと思います。だからこそ娘にも日本語を身につけてほしかったのです」
非日本人が自身のアイデンティティー(自己認識)を日本語に委ね、さらに次世代にも文化をもからめての日本語を受け継がせようとする。日本人にとっては意外ながらも、大切にしたいと感じる努力だろう。日本語が日本人を超えての人間や文化の形成という普遍性をも発揮する現象だとまで思わされる。
その点、この日本語継承センターは日本人が米国で英語によって生きていく自分の子供にあえて日本語を教えるという目的自体、日本人を超えての日本語という発想を認識させる。日本国民になることはなく、英語が母国語となる子供たちになお日本語を教え、子供たちも楽しそうに日本語を話すという光景は、同時に親の側の日本人としての頑固なまでの継承への願いをも感じさせる。
ただこのセンターの悩みは資金面で外部からの支援がないため、生徒側の授業料負担が大きくなってしまうことだという。創設者の一人、医学研究者の越谷直弘氏が「米国で日本語家庭を増やすことは親日派を増やすという意味もある と思うのですが」と語る点などを考えると、日本側からの支援があっても決して不自然ではないだろう。
杜父魚文庫
9103 日本語を話すインド人母子への善意 古森義久

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