9150 次期重慶書記に周強(湖南省書記)が玉突き移動か 宮崎正弘

薄き来は北京の政治局会議にあらわれたものの精彩を欠いた。王立軍失脚後、薄き来は北京の会議に現れて発言したが、まったく精彩がなかった。疲労がにじみ出て顔色も悪く、次期中枢権力入りはほぼ絶望となったことを認識しているような風情、北京の観測筋は「王楽泉モデル」を例証し、事実上失脚だが、名前だけ政治局員として残り、おそらく閑職へ追いやられるだろうと予測する。
王楽泉は十六年間にわたって新彊ウィグル自治区を支配し、自らの山東閥を駆使して利権を独占。ウィグル女性を山東省の工場へ「輸出」したうえ、強制的に漢族の男と結婚させるなど、すこぶる評判が悪かったが、2010年におきたウィグル暴動の責任をとらされ閑職に追いやられた。彼は胡錦涛に近いとする噂も流れたが、後年は江沢民に擦り寄ったりでとっても団派とはいえなかった。
そしてはやくも次期重慶書記の人事が取りざたされている。
現在湖南省書記の周強が、そのポストに就くのではないかという。なぜなら失脚した王立軍の後釜となって重慶市公安局長についたのは団派の関海祥で、かれが前奏曲を奏でつつ薄き来人脈を一掃したうえで団派のライジングスター=周強を迎える布石だというのだ。
胡錦涛に代表される団派(共産主義青年団)は次期首相につくとされる李克強や王洋広東省書記らが第五世代、そのつぎは第六世代となり、内蒙古省書記の胡春華と、この周強がその世代の代表選手である。
ちなみに周強は19690年生まれ、西安政治法律学院から司法部へ配属され、1995年、三十五歳の若さで法制司司長に就任し、頭角をあらわすや弐年後には共青団の第一書記に抜擢された。
2006年に第六世代最初の省長と騒がれたが、湖南省省長代理、翌年、正式に省長、2010年には名門でもある湖南省書記となり、秋の第十八回党大会では確実に政治局入りするとされる(湖南省は宋教仁、毛沢東、劉少奇、胡耀邦、朱容基などが出身地)。
ただし、この観測は煎じ詰めると王立軍失脚による薄き来の政治局常務委員阻止は団派の策略という前提に立っていることになり、逆にあのミニ政変は上海派と太子党が組んで、団派を巻き込んだ政争であったとみれば、希望的観測というより意図的なデマの懼れもある。
習近平の右腕が薄き来だったという裏情報もあるが、習近平にとって薄き来は先輩格でもあり煙たい存在であり、潜在的ライバル。失脚をむしろ歓迎していると考えるほうが理にかなっているのではないか。
杜父魚文庫

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