9163 竹下の周到な「10年戦争」 岩見隆夫

まもなく3月。<消費税政局>の本番入りだが、先行きが読めない。民主党の長老、藤井裕久税制調査会長は、
「野田(佳彦)総理はまったくぶれていない。岡田(克也・副総理)、安住(淳・財務相)、仙谷(由人・党政調会長代行)と不肖私がぶれない限り、消費増税法案は通ります。進むも地獄、退(ひ)くも地獄と言うが、進めば地獄ではない」(12日の民放テレビで)
と自信を示した。この5人が不動なら、という趣旨だが、果たしてそうなのか。藤井は、「竹下さん(登・元首相)は支持率が下がってもやった。歴史が必ず評価する」
とも言った。消費税が話題になると、きまって出てくる竹下の名前、導入の功労者だ。
森喜朗元首相も、先日、「竹下さんの時は、金丸さん(信・元自民党副総裁)が当時の社会党と話した。いまの民主党だと話せるのは輿石さん(東・幹事長)だろうが、自民党側で対等に話せる人がいるか。これは人間力の問題だ」などと言っている。
大仕事を片付けるのは、人間力に違いない。人間力もいろいろだが、竹下と野田の違いは用意周到さと思われる。
竹下が蔵相に就任したのは79年11月、第2次大平政権である。55歳、最初に直面したのが一般消費税の断念だった。大平正芳首相はこの年1月の施政方針演説で導入に言及したが、激しいバッシングにあい、あきらめる。
大平はなぜ導入を図ろうとしたのか。三木政権下の蔵相の時、大平は第1次石油ショックによる不況から立ち直るため、非常手段として赤字国債の発行に踏み切ったからだった。竹下蔵相に大平は、
「私は取り返しのつかないことをした。建設国債なら社会の資産として後世に残るが、赤字国債は子孫にツケを回すだけで何も残らない。なんとか財政再建を緒につけてください」と、とつとつと心情を吐露したという。強い贖罪(しょくざい)意識があった。
この時から、竹下の10年戦争が始まる。晩年、回顧録のインタビューで、消費税の苦労話を聞かれると、竹下は、
「あれは大平さんの執念が乗り移ったんだよ。大平さんの罪滅ぼし。『大蔵出身でないあなたに頼む』と。それから(導入まで)10年だもの」と言ったあと、
「ものすごい知恵が一つあったのよ」と5人の名前をそらんじているようにあげた。
というのは、79年暮れの国会では、消費税反対決議をすることが与野党で話し合われた。竹下は大平の意をくんで、反対でなく財政再建決議案に切り替える画策をする。
それに協力を頼んだのが、まず自民党の山中貞則税制調査会長、社会党が武藤山治政審会長と税制に詳しい堀昌雄、公明党は正木良明政審会長、民社党は竹本孫一元政審会長の5人、いずれも各党きっての財政通であり、税の専門家だった。
苦心の作の財政再建決議案は全会一致で可決され、消費税導入の新たな出発点になった。その後、大平、鈴木、中曽根の3政権で行政改革、歳出削減などの努力が続けられ、竹下は終始、
「税制改革は国会決議違反でなく、むしろ決議に書かれた手順に従って行われている」と主張し続けた。
山中貞則と野党4人を口説き、決議案で外堀を埋め、10年後の89年4月、自身の政権のもとで、ついに3%消費税をスタートさせたのである。竹下の周到な人間力と言うほかない。
「声の大きいほうになびくのはいけない」と竹下は回顧録で述べている。(敬称略)
杜父魚文庫

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