9214 プーチン再登場と北方領土返還交渉  古沢襄

【モスクワ時事】ロシア大統領選で当選確実となったプーチン首相は4日夜(日本時間5日未明)、クレムリン前で開かれた支持者の集会で「われわれは勝利した」と宣言した。(時事)
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン・・・ロシアの最高権力者が再登場。次期大統領の任期は6年となったため、2024年まで大統領職にとどまるから、日本は否応なしにプーチンと向き合わねばならない。
1999年、初めてロシア旅行した私はボリス・エリツィン大統領末期のロシア経済の混乱を目のあたりにした。モスクワではエリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの噂が絶えない。ポスト・エリツィンは誰なのか?手当たり次第に聞いて回ったのだが、大方のロシア人は首相だったエフゲニー・プリマコフの名をあげた。プーチンの名をあげたロシア人はいなかった。
だから2000年の大統領選挙でプーチンが登場した時には意外だった。最初の印象はエリツィンの傀儡・プーチンだったから、エリツィンの失政を引き継ぐプーチンは長続きしないと思わざるを得ない。KGB出身、酒もタバコもやらない、柔道家といったプーチンの寸評が入ってきたが、経済破綻に追い込まれているロシア経済を立て直す人物という印象は持てなかった。
二度目のロシア旅行をして、プーチンを見直すことになる。疲弊していたロシアが、プーチンの資源外交で見事に立ち直りをみせていた。KGB出身の暗さが残るが、無策のエリツィンとは違うプーチンにロシア国民は「強いロシア」の再現を夢見ていた。
2000年4月、脳梗塞で倒れて急死した小渕恵三首相の後、森喜朗氏が首相となった。森氏が無所属議員で当選して以来、福田赳夫氏に紹介されて親しくなっていた私は、折りにふれて相談相手になっていた。森氏は小渕氏が遺した沖縄サミットに政治生命をかけることになる。
首相としての最初の外遊は、沖縄サミットに出席する各国首脳との顔見せ旅行になるのだが、最初の訪問国にモスクワを選んだ。羽田から政府専用機で飛び立つ直前に、森氏から「じゃあ、行ってくるよ」と電話を貰ったが、やはり不安な旅立ちだったろう。
だが、プーチンに会うことを最優先にしたのは正解だったと思う。「各国首脳が知らないプーチンと会ったことを、次の訪問国であるロンドンでブレアに対する土産話にしたら・・・」「柔道家であるプーチンに日本の柔道着を贈ったらどうだろう」と私なりに思いつくアドバイスをしたつもりでいる。
森氏はロシアとの縁が少なからずある。父親の茂喜氏は石川県根上町長、地方政治家だったが、日ソ協会長をしたこともあって、1950年代から日ソ民間交流に尽力している。1989年に亡くなったが、根上町と姉妹都市を結んだシェレホフ市の墓地に分骨した墓が建てられた。
プーチンとの会談で森氏は、シェレホフ市にある父親の墓地の話をしたのだろう。このことを覚えていたのだろうか。プーチンは2001年に茂喜氏の墓を詣でている。私も二度目のロシア旅行で、この墓を詣でたが、墓地の真っ正面に茂喜氏の墓があった。
シェレホフ市はイルクーツク市から近い街だが、このイルクーツク市と金沢市も姉妹都市を結んでいる。父親の墓が取り持つ縁なのだろうか、森氏とプーチンの間には友情に近い関係が生まれている。2001年3月に森・プーチンのイルクーツク会談が行われ、「イルクーツク声明」で日ソ共同宣言(1956年)が北方領土返還交渉の”出発点”であることを認めている。
森氏の腹はハボマイ、シコタンの二島返還を先行させ、クナシリ、エトロフは継続交渉とすることにあったが、プーチンはハボマイ、シコタンの二島返還で北方領土返還交渉を終結させたい・・・「イルクーツク声明」は両者の妥協の産物といえよう。
これは、あくまで四島返還の原則論に立つ世論の反対もあって、日露の領土交渉は冬の時代に入った。その間にロシアはメドベージェフ大統領時代にクナシリ、エトロフの軍事基地強化に出ている。ロシア側は進展がない日露関係よりも、中露関係の結びつきに力を注いできたのが現状といえる。
その中でプーチン(首相)は東日本大災害の直後に二つのメッセージを発した。
(1)過去から引き継いだ問題(北方領土問題)はあるが、日本は友好国であり、長期的に信頼のおけるパートナーである。積極的に支援するべきである。
(2)特に、福島原発の停止を受けて、日本で新たに需要が発生するであろう石油、天然ガス、石炭をロシアは供給する用意がある。
これが北方領土返還交渉でロシアが新しい提案をするメッセージと受け取るのは甘すぎると思うが、プーチンが「ハボマイ、シコタンにプラスα」の妥協案を考えているフシはある。ロシアは中露国境問題で中国に妥協する形で解決したからである。
その背景には、EUなどを相手に展開してきたプーチン資源外交が、先行き不透明となっている現状打開のために、新たなアジア重視の資源外交に打って出る・・・その相手として日本を視野に入れているという分析がある。
森・プーチン交渉の裏には外務省の東郷和彦欧亜局長らロシアン・スクールや鈴木宗男氏、佐藤優氏らの存在があった。基本的には「ハボマイ、シコタン先行返還論」である。これが四島返還要求の原則論に押されて、今では外務省内のロシアン・スクルールも力を失っている。プーチン新提案が出ても、それを受け止め、日露交渉を再構築する下地はないに等しい。
あるのは、プーチンが日本への積極アプローチを開始したのは、アジア太平洋市場において露エネルギー企業のプレゼンスを拡大する絶好のチャンスと捉えたからに他ならない、という評論家的な寸評でしかない。結局は四島返還要求の原則論の殻に閉じこもる・・・それが日本の姿ということではないか。
杜父魚文庫

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