東京スカイツリーという巨大な建造物が、完成した。いったい何の目的で建てられたのか、私にはさっぱり判らないが、都内の離れているところからも、望見できる。マスコミがさかんに囃し立てている。
古代の飛鳥時代から、仏教の伽藍が建つと、人々がそれを話題にして憧れ、心が慰められたにちがいない。奈良盆地にあった川原寺や、大安寺、本元興寺や、定林寺が、それに当たった。伽藍は私たちの心に深くかかわってきた。
スカイツリーは、ちょっと奇妙な形をしているが、今日の日本人にとっての大伽藍に違いあるまい。
伽(と)ぐという言葉は、「無聊(むりょ)の相手を慰める」という意味だ。無聊心身を苛(さいな)む心配事があって、楽しくないことをいう。伽藍は伽ぐために修業する家だった。人は伽ぎ、磨(と)ぎ、研(と)ぐことによって救われる。そのための場だった。
このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなってきた。豊かな社会が到来して、欲しいものを何でも手に入れることができるようになったのに、希望だけがなくなった。
スーパーや、レストランが立派になるのにつれて、家の食事が貧しくなった。機能的なマンションがつぎつぎと建てられるのにつれて、隣人への親近感も、責任感もなくなった。
照明が明るすぎるから、気が散る。相手をよく見ないから、人の存在感が薄くなった。菜種油の仄かなやさしい光で相対した時には、相手から眼を離さなかった。
政府が2月に日本の人口が現在の1億2千万人台から、2060年には6千万人台まで減るという予測を発表した。毎年、百万人づつ減ってゆく。
私たちは価値がない国を、つくってしまった。希望がないから、未来がない。若者がこの国の未来に、希望をいだくことができない。だから、この国を未来へ伝えたいと思わない。そのために、少子化が進んでいる。
日本から明るく貧しい人々が、いなくなった。照明が明るくなるほど、人の心が暗くなるのだろう。希望は、心から発する。まさか財布のなかから、湧き出まい。心を失ったら、希望がない。
今日では物質的な豊かさが満ち溢れているために、人々が貪欲になって社会が壊れつつある。人が刹那的になっている。だから過去にも、未来にも、関心をいだかない。
己(おのれ)しか顧みないで、つまらない欲得によって、休みなく駆り立てられている。感謝する気持ちが失われて、焦(い)ら立ちやすく、心が疲れはてている。東京スカイツリーに昇ったら、心が癒されるのだろうか。
猥雑なスカイツリーが、偽りの大伽藍となっている。かつて日本語は世界諸語のなかで、心尽くし、心合い、心扱い、心配り、心入る、心残り、心清し、心前、心繕(づくろ)い、心様(ざま)といったように、心がついた言葉がもっとも多かった。私たちは、心の民だった。
刹那的だから、人々はつねに急いでいる。ゆったりとした時間に、耐えられない。刹那を急いで、使い捨てる。夢がない。万葉集に「海原に遠く渡りて年経(ふ)とも 児らが結べる紐解くなゆめ」という句がある。ゆめは「ゆめゆめ」といって、「けっして」という意味を兼ねていた。夢は心に刻んだ決意だった。
物が支配する社会は、行き詰まる。私は車の大渋滞に巻き込まれると、ほっと安堵する。
平安時代の牛車(うしぐるま)の歩みように、のろのろと進む。用意してきた短冊に、さらさらと相聞歌を記して、車窓を降して隣の車に手渡す。
相問歌は恋歌が多いものの、雑歌(ぞうか)、相問、挽歌があって、人との間で贈答される歌である。しばらくすると、隣の窓から「返し歌」が戻ってくる。
渋滞はすばらしい。心を取り戻す時間だ。人は無機物ではない。生きているものは、芽をふき、花を咲かせ、実を結ぶために、ゆっくりとした時間を必要とする。
無機的な時間に生きてはなるまい。けつして急いではなるまい。心に成長する時間を、与えてほしい。2月29日は前日から雪(ゆき)気(げ)があったが、東京で大雪が降った。陋屋(わがや)の前庭の白梅の蕾が、開いた。わが家の梅暦(うめごよみ)だ。春が近い。
我が園に梅の花散るひさかたの
天より雪の流れ来るかも〈大伴旅人〉
それとも、降る雪びらの1つひとつが、梅香を運んでくるのだろうか。テレビのコマーシャルに、女性の美肌に効くという化粧品が多い。昔は雪肌といったものだった。
雪を廻らすといえば、女性が歩む姿や、舞い姿のことだった。そんな美しい連想を誘う女性も、いなくなった。人が自分のことしか構わないから、心を失なっている。視覚だけで見てはなるまい。心で見よう。
今日の小賢しい人々は、国語を「話す、書く、読む」ことによって、学ぶという。まさか、それでは国語を学ぶことにはならない。
かつてこの国では、言葉は人から人へ意志を伝えるためよりも、心を分かち合うために用いられた。言葉の奥にあるものを、忘れてはなるまい。言葉は先祖から伝えられた贈物である。高い価値がこめられている。言葉には、先人たちの心が宿っている。
夢と希望を取り戻そう。私も大学の関係者だが、このところでは「コミュニケーション学科」とか、「情報学科」とか怪しげな学科が多い。どこかの大学で「希望学科」を、開設してくれないだろうか
杜父魚文庫
9219 スカイツリーは現代日本の大伽藍 加瀬英明

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