ことしの一月二十六日に太陽で23日昼過ぎ、比較的大規模の爆発があり、放出された高エネルギー粒子が地球に向かっていて、条件が整えば25~26日に北海道でもオーロラが見えると杜父魚ブログで書いたばかりだが、米海洋大気局(NOAA)は太陽の表面で大規模な爆発が観測されて、過去5年間で最大の太陽嵐が八日地球に到達するという。
昨年来の異常気象は太陽活動の活発化と関係するのではないか。地球を襲っている寒冷化現象をみていると、そう思わざるを得ない。温暖化説はどこにいったのだろうか。寒冷化はオーロラの出現と密接な関係がある。慶応大学の名物教授だった西岡秀雄氏が、地球の寒冷化現象とオーロラの出現について、日本や韓国の古い資料を広く使って、その関連性を実証したことがある。
西岡教授によると”極光”といわれるオーロラは、太陽黒点と関係しているという。太陽から放射される高速度帯電微粒子が地球に接近すると、地球の磁場によって磁力線の沿って、その周囲を進行し、その際に地球上層の大気、たとえば水素のイオン化したものが、この微粒子によって衝撃を受けて発光する・・・という学説を紹介している。
西岡説が面白いのは日本の気候変動を太陽黒点などの発生から分析して、オーロラの発生を記した古文献を克明に追い求め、温暖期と寒冷期が七百年周期で歴史的に現れたことを証明した点にある。この説は「気候と文明」の著書で知られるハンチントン教授が絶賛している。
歴史は人間が創り、動かすというものの、その人間を動かしているのは、太陽だとまで言い切っている。NHKテレビで平清盛の大河ドラマを放映しているが、清盛が生きた平安時代末期はまさに温暖期。殿上人の公家には足袋を履く習慣がなかった。ロマンチックな王朝文学が栄えている。
それが鎌倉時代に入ると日本列島は厳しい寒冷期になる。僧侶に般若湯と称する酒を飲む習慣が起こり、足袋を履く習慣が流行った。武士に質実剛健の気風が奨励され、公家に代わって殺伐とした風情の武士が馬を駆って戦に明け暮れた。
江戸時代末期は古文献からも寒冷期だったと裏付けられる。天保・天明の大飢饉が発生し、社会不安が増大した。同じ寒冷期であっても西日本では冷害を受けるほどでなく倒幕のエネルギーを貯えることが出来たと分析している。こういう講義だから、慶応大学の学生には西岡教授は人気があった。
いずれにしても、しばらくは寒い冬の季節が続きそうだ。
杜父魚文庫
9235 異常気象は太陽活動の活発化と関係する? 古沢襄

コメント