保守本流の女帝・辻トシ子さんから昨夜、電話があった。とりとめのない話で一時間のお喋りだったが、フッと思い出したように「政治家の質が落ちているから中選挙区に戻さないとダメね」という。
話の終わりに「文藝春秋の小沢一郎を読んだ?」と聞く。満九十三歳になっているというのに頭の冴えが変わらない。月刊誌にはほとんど目を通している。赤坂の辻事務所に訪れる政財官界の人たちは、ポンポン飛び出す辻さんの言葉に圧倒されてしまう。
文藝春秋は読んでいなかった。「石井妙子(ノンフィクション作家)が書いているけど、まあ読まなくてもいいけど・・・」。そう言われては放っておくわけにもいかない。今朝、本屋で買い求めた。
石井妙子・・・気鋭のノンフィクション作家だが、取材対象をよく調べている。昨年の文藝春秋二月特別号に「保守本流の女帝 辻トシ子九十二歳がみた永田町」を書いている。辻さんとは六〇年安保の前年、昭和三十四年からの付き合いだが、私が知らない辻さんの世界がかなりあった。
昨日発売された文藝春秋四月号に「小沢一郎 秘密の多すぎる家族」を石井妙子さんが書いている。私の祖父伝来の土地、岩手県西和賀町は小沢氏の選挙区、岩手四区である。無関心でいるわけにはいかない。一族には小沢後援会の会長だった者もいる。六十年安保の時には小沢氏の父・佐重喜氏が衆院安保特別委員長だったから、夜回り取材をかけた想い出がある。
だが中選挙区の時代には、この選挙区で椎名悦三郎氏と佐重喜氏が激しく闘った。当時の椎名氏は岸内閣の官房長官、椎名邸に夜回り取材をかける方が多かった。佐藤内閣になって椎名氏が外相になると金魚のウンコのようにくっついて外務省担当記者になったから、椎名氏との縁の方が深いというのが正直なところである。
石井妙子さんの論評を読んで私が知らない小沢氏の幼年期を教えられることが多かった。私が知っている小沢氏は東京都立小石川高校以降の話である。岩手県水沢の小沢家のことは断片的にしか知っていない。水沢には行ったこともない。
小沢一郎・・・保守政界でこれほど権力に近いところで生きた政治家は、戦後政治の中でも際だっている。今の民主党が政権の座についたのは、衆参の選挙で小沢氏の采配によって自民党に勝った遺産といえる。それが菅首相の下での”脱小沢””小沢切り”に会い、小沢裁判で身動きがとれないところに追い詰められいる。
四月二十六日ごろの判決で全面無罪をかちとることが出来るのだろうか。「小沢一郎 秘密の多すぎる家族」で石井妙子さんは「水沢と違って、ここ(東京の小沢邸)はもう春の陽気だった。風が吹き抜けて、屋敷内の樹木が音を立てて揺れる。きっと、この家は権力者が建てたネバーランドなのだろう。
有刺鉄線の向こう、年老いた少年が、小鳥や犬に囲まれて暮らしている」と結んでいる。
杜父魚文庫
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