9268 「皇室典範」は「権威」の領域にあり法律事項ではない 西村眞悟

昨今、御皇室に関する議論が盛んになりつつある。政府が、女性宮家の設置に関し、民間の「識者」を選んで意見を聴いたところ、賞味期限の過ぎた「評論家」が、「男女同権だから、女性宮家は当然だ」とテレビでコメントしていた。
また、先日、ある故人のささやかな偲ぶ会で、スピーチの機会を与えられた人が、故人のことには触れることなく、「女性宮家は皇統断絶に至る。断じて阻止しよう」と繰り返していた。
この風潮を憂い、また、この風潮には嫌悪をもよおすことがあるので、以下述べておきたい。
まず第一の前提として。皇室に関する事項に関しては、特に、「戦前戦後の連続性」と「我が国の歴史の一貫性」、つまり「万世一系の存在として現在に至る天皇」を強く意識していなければならない。
その前提の上で。我が国の根本規範としての天皇は、如何に実定法に規定されているかを確認する必要がある。それは、まさに、大日本帝国憲法第一条、第二条そして第三条である。
同第一条、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
同第二条、皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す
同第三条、天皇は神聖にして侵すへからす
では、第二条にある「皇室典範」とは何か。それは、明治二十二年二月十一日に定められた天皇家の家憲である。
しかもこの「皇室典範」は、大日本帝国憲法七十四条に定められているとおり帝国議会が改正することはできず、憲法と同等の効力をもつ家憲だ。
「皇室典範」は、帝国議会が決める「法律」ではないのである。つまり、我が国の皇位継承などの皇室に関する制度は、権力の介入を排除して、皇室の自律のもとに万世一系継承されてきたものであり、この伝統を受けて、明治二十二年二月十一日に、現在の「皇室典範」ができあがっている。
 
我が国の歴史を振り返れば、藤原道長も平清盛も織田信長も、如何にときめく権力者であっても、皇位の継承にくちばしをいれることはできなかった。
この不文律が堅持された上で、皇室は存在し続けてきた。それ故、天皇は「権力」とは次元を異にする「権威」であり続けた。つまり、「権威」とは「神聖にして侵すことのできない存在」である。天皇は、そういう存在として現在に至っている。
しかるに、昨今の風潮は、「皇室典範」を如何に考えているのか。
冒頭に紹介した議論の論者は、万世一系の伝統とともにある皇室の自律については全く思いも致さず、「皇室典範」を「法律」だと考え、皇室に関しても、国会で何でも決められると思い込んでいるのではないか。
従って、これら論者は、こともあろうに臣下の分際で、皇室のことを変えることができると思い込んで、何処でも、酒の席でも、偲ぶ会でも、口角泡を飛ばして議論をしている。
しかし、「歴史と伝統」を国会で議論して変えられないのと同様に、「皇室の自律という歴史と伝統」も国会で議論して変えることはできないのだ。
仮に、それをすれば、権威の世界に権力が介入することになり、我が国の皇室の本質、即ち「権威」が失われる。
国会とは、しょせん票の数で決まる権力の世界であるということを認識し、「権威」とは次元が異なるというけじめを付けねばならない。
なお「皇室典範」は明治二十二年二月十一日制定され同二十三年十一月二十九日施行の大日本帝国憲法と一対となって機能してきた。
そして、昭和二十二年五月三日に日本国憲法が施行される前日の同五月二日に廃止され、純然たる「法律としての皇室典範」が日本国憲法と一対の法律として日本国憲法施行日と同じ翌五月三日から施行された。
 
ところで、繰り返すまでもなく、その日本国憲法は、無効である。従って、それと一対である「法律としての皇室典範」も無効である。
無効とは効力がない、つまり、皇室典範としては存在していない、と言うことである。また、日本国憲法が無効なのであるから、我が国の憲法は大日本帝国憲法であり、その大日本帝国憲法と一体を成す「皇室典範」も存在する。
よって、我が国の皇室のあり方を律する「皇室典範」は、今も明治二十二年二月十一日の「皇室典範」なのだ。皇室に関しては、三年前の、国民を騙して票をかすめ取った者達がうじゃうじゃ群れる国会で議論はできない。
彼等は、我が国の歴史と伝統に無縁な、三島由紀夫が嘆いた「無機質で、からっぽで、ニュートラルで、抜け目のない連中」である。
しかも、国会は「権力」の世界であり「権威」ではない。即ち、皇室に関する事項は、国会の決め得る「法律事項」ではないのである。
ましてをや、皇室に関して、時流に泳いで小銭を稼ぐ評論家如きが、臣下の分際で「男女同権だから、云々・・・」とは何事か。
 
従って、皇室に関する決定は、「皇室典範」に基づいて、皇族会議(法律としての皇室典範にある権力者が議長を務める「皇室会議」にあらず!)及び枢密顧問に諮詢してなされねばならない。
今一度立ち止まり、皇室のことを「法律事項」であるとの思い込みを捨てて議論を慎み、謙虚に我が国の肇りからの万世一系の歴史を振り返り、「おおみごころ」は、また、皇室に関する諮詢に与る枢密顧問官にふさわしい人物が我が国の何処におるのかと、深思するときではないか。
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました