面白い、と言うと語弊があるかもしれないが、やっぱり面白い。首脳外交である。トップが変わると、外交の風向きも変わる。
今年は各国トップの交代の年だが、日本にとっていちばん面白くなりそうな予感がするのは日露関係だ。プーチン首相の大統領再登板の決まったとたん、メドベージェフ時代と一変して、膠着状態の北方領土交渉が動き出す気配である。
ロシアに限って油断は禁物だが、大統領選の直前、プーチン首相が一部外国メディアとの会見で、「北方領土問題は最終的に解決したいと強く願っている。双方が受け入れ可能な形で行いたい」(三月二日・モスクワ)
と意欲を述べたのがきっかけだ。この時、プーチンさんは、二〇〇一年のイルクーツクにおける森喜朗首相との会談にも触れた。ロシア側は一九五六年の日ソ共同宣言(平和条約締結後に歯舞、色丹両島を日本に引き渡すと定めた。以下五六年宣言)の有効性を認めたものの、日本側の対応について、
「二島ではなく四島が欲しい、と主張した。これはもう五六年宣言ではない。すべてが再び出発点に戻った」とも語ったという。しかし、これは事実関係が微妙に違う。
プーチンさんはまず二〇〇〇年九月に来日(当時、大統領)、東京都内のホテルで森さんと朝食をとりながら懇談した。森さんによると、プーチンさんは、
「私と君とで領土問題を解決しようよ」と持ちかけ、次のやりとりになったという。
「長い間の問題であり、ぜひ解決したい」
「大統領としての自分の地位はまだ不安定だ。地位が確固たるものになるまで待ってほしい。安定すれば必ず取り組む」
「あなたの立場もあるし、ロシアの事情もあるだろう。それほど急ぐこともない」
「価値観は常に変化するものだ。ソ連時代には、四島が絶対に必要だという時代があった。その価値観がいつまでも続くものではあるまい。いま、私がそういう価値観を捨てているわけではないが、変化があっていいと思っている」
さらにプーチンさんは、「北方領土を日本に返すと、そこに米軍基地ができるのではないか。日米安保条約が続くのだろうから」
と質問し、森さんは、そんなことはありえない」と否定した。
さて、翌〇一年三月のイルクーツク会談だ。プーチンさんが五六年宣言を、
「平和条約交渉の出発点」と認めたのに対し、森さんは歯舞・色丹の引き渡しと国後・択捉の帰属問題とを分けて話し合う同時並行協議を提案、
「少し考えてみてください」と粘った。プーチンさんは、
「そうだな」と応じている--。
◇忘れてもらっては困るシベリア抑留57万人
以上の両トップの領土問答は、昨年十月二十八日付の『毎日新聞』で森さんが語ったものだ。日本側はストレートに四島を、と求めたわけではない。『毎日』で森さんも、
「私は二島(返還)でいいと言っているわけではない。全部返してもらうのがいいに決まっている。でも、向こうがノーのままで『四島』をお題目のように唱えていたのでは、問題は解決しない」
と言っている。私もそう思う。棒を呑んだような四島一括返還論でなく、ここは知恵の絞りどころだ。十年前、プーチンさんの東京・イルクーツク発言はそう硬直したものではない。
ロシア側の事情もある。東シベリアの石油とサハリンの天然ガスの供給路を確保することは、ロシアの国力増強に不可欠の要請になっている。日本はその協力パートナーにふさわしい。資源大国・ロシアと資源に乏しい経済大国・日本との連携だ。
また、日本には言いたいことがある。ロシアにも忘れてもらっては困る、ロシアの原罪だ。それは、終戦まぎわの一九四五年八月九日、ソ連軍が日ソ不可侵条約を破って旧満州になだれこんだからではない。ソ連の対日参戦は同年二月の米英ソ三国首脳によるヤルタ会談で決まっていたことだ。
そのあと、ソ連は約五十七万人の日本兵士をシベリアに連行し、極寒・飢餓のなか強制労働で六万人を死に追いやった。帰還したシベリア抑留者のうち七万人が生存しており、平均年齢が八十八歳だ。七三年に訪ソした田中角栄首相は、
「まだ五、六十年、ソ連は許せないという日本人の感情を払拭することはできない」
とブレジネフ書記長にまくしたてている。ロシア側はこのことも念頭におかなければならない。プーチンさんも新たにロシアと向かい合う日本の野田佳彦首相も、戦後生まれだから実体験がないが、首脳は歴史を大切にしてもらわないと困る。
大統領選直前の外国メディアとの会見に話を戻すと、同席した『朝日新聞』の若宮啓文主筆が、
「大統領に復帰したら、(北方領土問題で)大胆な一歩を踏み出せるか」と問いかけると、プーチンさんは、「私は柔道家だが、柔道には大胆な一歩が必要だ。しかし、勝つためではなく、負けないためだ。我々は勝利を手にしなければならないわけではない。必要なのは受け入れ可能な妥協だ。いわば『ヒキワケ(引き分け)』のようなものだ」
と応じたという。柔道用語まで使った巧みな話法だ。若宮さんがさらに、
「『ヒキワケ』と言うが、それには二島では不十分だ」と突っ込むと、プーチンさん、
「では私が大統領になったら、両国の外務省を向かい合わせにして、『ハジメ(始め)』の号令をかけよう」とまたも柔道用語でかわしたという。しかし、日本の世論はヒキワケでは承知しない。せめて判定勝ちに持ち込まないと。野田さん、初の腕の見せどころだ。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
9279 プーチンさん、せめて「判定勝ち」に 岩見隆夫
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