今朝は起きて食事をとり、本棚を眺めていて、なぜか稲垣武氏の名著「『悪魔祓い』の戦後史」(文春文庫)を読み返したくなりました。といっても、けっこう分厚い本なのでとりあえずパラパラとページをめくっていたところ、松原隆一郎氏の解説「平気でうそをつく邪悪な人たち」が目に飛びこんできました。
松原氏はこの解説で、M・スコット・ペックのベストセラー「平気でうそをつく人たち」(草思社)を引用し、次のように書いています。
《うそをつく人、というだけなら、多数が存在している。「邪悪」とまで呼ばれる人は、自分の欠陥を直視することを拒否し、対面を保つのに躍起となり、そのために平気でうそをつき続け、支配力の及ぶ他人を破滅に追いやって顧みないのだ、とペックはいう。
そうした「邪悪な人」が厄介なのは、当人は邪悪さを発揮することで表面上は社会に適応しているからである。彼らの支配下にあって犠牲となる者の方が神経症にとらわれたり犯罪を犯したりと、社会的に不適応を起こしてしまう。
興味深いことに、ペックはこうした考え方を応用し、集団にも「邪悪さ」が働くはずだ、と主張している》(※傍線は阿比留)
松原氏はいわゆる「進歩的文化人」について書いているのですが、私はこの文を近年現実に起きたあれこれの事象にあてはめながら読み返し、「そういえば菅政権のことを『邪悪』と表現した人がいたなあ」と思い出しました。昨年6月の菅内閣への不信任決議案採決の際に、賛成票を投じて民主党を離れた松木謙公元農水政務次官のことです。松木氏はその後、産経新聞のインタビューにこう語っています。
「残念なことに、秘書時代から33年間、永田町を見ていますが、一番邪悪で最低な政権でしたね。言ってることとやってることがメチャクチャです」
まあ、当時、松木氏は小沢一郎元代表に近かったことから、こうした発言も政局的な文脈でとらえられましたが、それにしても自分が属していた政権を「邪悪」という政治家は初めて見ました。
同時に、私はけっこうこれは本音なのだろうなと受け止めました。私自身は松木氏と面識もなく、話したこともありませんが、同僚から松木氏の議員事務所には私のある署名記事のコピーが貼ってあると聞いたこともありましたし。それは以下の記事です。
《首相「国歌斉唱」疑惑「促され、ようやく立った」[ 2010年08月23日 東京朝刊 総合・内政面 ]
■否定に躍起も…スタッフ“証言”
菅直人首相が平成14年5月31日にラジオ日本の番組「ミッキー安川のずばり勝負」に出演した際、国歌斉唱時に起立しようとせず、君が代も歌わなかったという疑惑が話題となっている。首相自身は「私だけが座っている、斉唱しないという行動をとるはずがない」(3日の衆院予算委員会)と否定に躍起だが首相の旗色はあまりよくない。
「菅さんは立とうとしなかった。安川さんから『立つだけ立ちなよ』と促され、ようやく立った」
産経新聞の取材にこう証言したのは、現場を目撃した男性スタッフ(53)だ。男性は番組中、スタジオの首相らの様子を隣のミキサー室から窓越しに見ており、今でもはっきりと記憶している。
番組では、11年の国旗国歌法成立をきっかけに、冒頭かゲスト登場時に歌手が歌う君が代のテープを流し、全員起立して斉唱する決まりになっていた。
歌手の声がかぶるため、男性の位置では首相が一緒に歌っていたかどうかは分からなかった。だが、促されるまでは座ったままだったのは事実だろう。また、国歌斉唱時に自ら立とうとしない人物が、素直に歌うものかという疑問もわく。
「うそだ、うそです!」「証拠を出して」「違う」
3日の予算委で、自民党の平沢勝栄氏が安川氏から何度も聞いていた「菅さんは君が代は歌いたくないと言っていた」という問題を追及すると、質問の途中から首相は何度もヤジを飛ばしてこれを否定した。
ラジオ日本には首相の出演当日の番組の音盤は残されておらず、安川氏も今年1月に死去したため、真偽確認は難しい。だが、平沢氏が入手した15年1月31日の番組録音テープによると、安川氏はゲストに次のように語っている。
「菅さんがこの番組に出たんです。さあ(君が代を)歌えよと言ったら、『えっ、なに、国歌を歌うの。おれ歌いたくねえんだよな』と言って…」
このエピソードは、作家の佐藤優氏も安川氏から聞いたとして6月5日付の「SANKEI EXPRESS」コラムで紹介している。平沢氏は民主党議員からも「質問は図星だ」と耳打ちされたという。
首相には、国旗国歌法案採決時に「天皇主権時代の国歌」として反対票を投じた過去もある。今回浮上した問題は、果たして安川氏の記憶違いか、それとも首相が国会でうそをついているのか。(阿比留瑠比)》
……まあ、松木氏がなぜこの記事を事務所に貼っていたかの理由も分かりませんが、以前から菅氏のことを「平気でうそをつく」類いの人物だと確信していたのはその通りなのでしょう。国旗国歌に関する考え方が以前と変わったならそう正直に言えばいいのに、まさに躍起になって質問を遮るよに野次を飛ばした菅氏の国会答弁の模様は印象的でした。
そうしてこの手の人物は、自分自身の記憶もいつの間にか都合のいいように自動改変されているので、ただ嘘をつくのが平気なだけではなく、嘘をついている意識すらないことも多いのでしょうね。で、その狡猾さで社会的には地位を獲得し、部下や周囲が大きな被害を被ると。
先日、民主党担当が長かった同僚記者が、自身の取材経験に照らしてしみじみこう話していました。
「野党時代、結局この党はどこまでいっても『鳩菅』の党なんだろうなと感じていた。小沢氏が入ってきてその点はちょっと変わったけど、何も決められない党だという点は昔と全然変わっていない。政権与党になって現実の厳しさに直面し、決められなくなったのではない。昔からずっと、安全保障や憲法など党内で意見対立がある問題は何も決められないのが民主党だった。自分たちは野党を甘やかしすぎた」
新聞はどうしても政策決定、国の舵取りに直接携わる与党中心の報道になりがちですが、現時点では何を言っても政策に反映されないような野党の問題点であっても、折に触れて指摘していくべきだと改めて思いました。
とはいえ、野党のことをあれこれ書いても、読者の反応は極めて小さいか、重箱の隅をつついていないでもっと大事なことを書けとお叱りを受ける場合が多いのも事実です。与党や政府の幹部であれば通常の批判とみなされる記事も、野党議員だと個人攻撃や意図的な中傷と受け取られる可能性もありますし……。悩ましいところではあります。
杜父魚文庫
9292 「邪悪」と呼ばれたある政権と報道のあり方と 阿比留瑠比

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