橋下大阪市長は原発全廃を唱え始めた。何も橋下市長だけに限ったことではないが、原発反対論者は多い。私は反対派も含めた原発論者には与しかねる。戦時中の灯火管制のような暗い生活はイヤだ。
消費者である私には何の落ち度もないのに、東電を始めとする横暴な電力会社と無為無策の民主党内閣如きに言われて節電する理由も、電力不足を堪え忍ぶ寛容さの持ち合わせもない。
惨憺たる電力事情の大部分は菅直人如きが総理大臣であったのもさることながら、確固たる原子力発電に代わるエネルギー源も確立しないままに脱原発を唱え始めた無定見を非難する。
太陽光パネルなどは菅が孫正義にたらし込まれただけのことで、経済的にも現実的にも国家・国民を安心させられる手段とは到底なり得ない。
しかも、太陽光パネルでの発電の余剰分を東電等々に高値で買わせる法律を作ったことなど論外である。菅は国民の味方ではないのであった。
太陽光パネルを全面的に否定はしないが、原発分を補い我が国の重要な財源の一角である法人税等を納める産業界の需要が、あの手法で賄えるのか。出来ないから自家発電が多くなったのではないか。
しかも、東電は正確な供給能力を明かさず、産業需要を17%、家庭向けを10%上げるのは権利だとほざいているではないか。ここにもやや感情論はあると認めるが、電力会社は不当である。
次の批判の対象は「脱」であろうと「全廃」であろうと、そこに至るまでの間の補完的発電と供給の対策が不十分なままに、闇雲に止めるというのは納得できない。
値上げはするは供給は出来ないという事態を招かないように、最善の手段を講じるのが政府の役目のはずだ。その意味では「安全と解れば原発を再稼働させる(地元の同意を確保して)」と野田総理が言ったのは一応筋が通っている。
さて、福島である。これを止めただけではなく廃炉にするのに何年かかるのか、どれほどの予算が必要かも明らかにされていないままに、他の53基を全廃すればその費用は天文学的になるのではないか。
その資金は何処から出るのかは誰も論じていない気がする。野田も細野も枝野もそれを言うのが怖いのか、或いは官僚から聞いていないのか。
次が安全対策。菅直人は浜岡を止めた。止めた後は放置するのか、それとも資金を投じて防波堤でも何でも造って地震や津波対策を講じて動かすとか、そういう話しは他の止まったままの原発に関しても、ストレス・テスト(何でこんなカタカナ語を使うのか!)をいう名の対策以外に明解に聞いたことがないのは何故か。
中間処理場も確定できていないのに、使用済み核燃料の処理法も未定のままに全廃だの脱だのという運動に精を出している連中は無責任だ。安全院だの何のという役所はあるようだが、私にはこういう面の総責任者は政府だろうと思えるのだ。そして、その最高責任者は消費税に進退をかけておられる総理大臣ではないだろうか。だから、進まないのかと疑っている。
私は昨年に東電が権利(だったのだろう)として強行した計画停電を、除外された都民であったが、山梨県で経験し、その理不尽さが身にしみた。東電は今年はやらないようだが、その代替が値上げらしいのでは、救いがない。
長々と述べてきたが、電気を使わねばならないような生活様式を普及させた自民党にも責任はあると思う。それらを含めて全部承知(のはず)で無定見に政権を獲ってしまった民主党は、無知で無策である。
だが、政権を持っている以上彼らは何とかする義務があるはずだ。消費税率引き上げは義務だとは到底思えない。野田は進退をかける対象を誤っているか、単細胞かの何れかだ。
やはり、民主党を選んだ一部の国民の皆様が誤っていたのだ。俺は選んでいなかったと言っても遅いか。
杜父魚文庫
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