9326 財政赤字拡大を招く民主主義の病への処方箋=猪木武徳氏 古沢襄

ロイターの「日本再生への提言」特集に経済学者で国際日本文化研究センター所長の猪木武徳氏が「大半の先進国において財政問題が政治的に解決策が見出されないまま深刻さを増している理由は、代議制のデモクラシーの病にある」と注目すべき提言を寄せている。
<十把ひとからげの公務員批判は依存心の裏返し>
大きく複雑な産業社会において代議制のデモクラシーが機能するためには、いくつかの前提条件が必要だ。
第一に、政治思想史でもよく言われるように、社会を構成する個人が、「コモン」や「パブリック」といった言葉で形容される「公(おおやけ)」の社会的価値を考え、きちんと理解し考察できるように訓練されていること。さもなければ、デモクラシーは「私(わたくし)」優先の「ティラニー・オブ・マジョリティ(多数者の専制)」に押し流されてしまう。
第二に、そうした「公」の価値観のもとで自分が属する地域社会・共同体をどう良くしていくかという実践的な作業を進める気持ちが個々人のレベルで涵養(かんよう)されていること。この前提がなければ、地方自治は成り立たないし、その先にある「善き国家」などあり得ない。そもそも国家と個人は一足飛びに結びつくものではないからだ。
率直に言って、日本にはいまだこうしたデモクラシーの前提条件が十分に備わっていないように感じられる。特に戦後、公の意識は弱くなり、欧米のような結社を組織するという風土が弱かったこともあり、公論形成の場も限られており、地方自治や地域共同体への参加意識も希薄だ。
それどころか、最近は「改革」という美名のもとに「公」を「私」に変換することで諸事問題が解決するかのごとき思想が蔓延し、「私益」の拡大のみを国益とみなす論調が勢いを増している。今や「公」こそ「改革」の最大の抵抗勢力であり、日本の病巣ともいわんばかりだ。
むろん私も日本に存在する公的システムのすべてを肯定している訳ではない。だが、何が大事で何がそうでないか、何をまず優先すべきかといった物事の軽重大小などに対する判断力、すなわち福沢諭吉が言うところの「公智」が欠落しているのではないか。十把ひとからげの公務員批判などは、見方を変えれば、何でも国に頼ればよいという依存心の裏返しにすぎない。
この問題を解決することは、むろん容易ではない。われわれは、年月をかけて、教育や訓練を通じて「公共」「公益」というものの価値を身につけていくしかない。その意味で、あれほど大きな犠牲を払った東日本大震災を経て、日本人は「共同体意識」に改めて目覚めたという面もあろう。
被災地に向けて「がんばろう」とただひたすら叫ぶだけでなく、国民一人ひとりが応分の経済負担をしつつ連帯感を強める以外に日本の真の再生はありえないはずだ。まずは公益をないがしろにしてきたことへの自省と連帯への責任の自覚を強めなければならない。
<保守を自認する政治家は改革騒ぎに抗え>
とはいえ、現代のデモクラシーの病が国民の意識改革を求めるだけで治癒しないことは私も理解している。上述した前提条件が相対的に備わっている米国や欧州諸国ですら「公智」がますますないがしろにされていることは、2008年のリーマンショックや昨今のギリシャ危機をめぐる欧州連合(EU)の混乱ぶりを見れば明白だ。
デモクラシーの病は、財政赤字の拡大傾向に顕著に表れている。周知のとおり、大半の先進国において、財政問題は政治的に解決策が見出されないまま深刻さを増している。理由は明白だ。政治家は選挙で票を獲得するために選挙民に多くの経済的便益を約束するが、それらの行為は実際には特定集団に集中的に利益をもたらすだけであり、国民一人当たりのコストは無視できるほどに小さいからだ。そのためコスト意識は高まらず、かつ増税など痛みを嫌うポピュラーセンチメントも手伝い、財政赤字は膨張していく。
さらに、こうした現象に追い打ちをかけているのが制度的遺産を守ろうとしてきた保守派政治勢力の弱体化ではないか。かつて日本の政治は与党の自民党に対して、マルクス・レーニン主義に凝り固まった野党の社会党が挑む形で展開されてきた。むろん評価できることばかりではなかったが、野党の頑強な姿勢が与党を鍛えたという面は否めない。
ところが、日本に限ったことではないが、近年の二大政党路線のもとでは、与野党の主義主張の収斂(しゅうれん)が進み、主導権争いの政局こそあれ、政策面での骨太の論争は聞かれなくなっている。政治家の政策理解や熟練度が増した結果との見方もあろうが、実際には国民の要望が画一化する中で(往々にして増税反対などの易きに流れる)、落選して「タダの人」になることを恐れる多くの政治家たちがそのポピュラーセンチメントに迎合している側面の方が大きいだろう。
この流れで見れば、「改革」騒ぎも合点がいく。日本では、何年かの周期で「改革」が流行るが、それは閉塞感が広がった際に、ポピュラーセンチメントに訴えやすいからだろう。本来ならば、政治の要諦とは、いかに既存の制度・法を変えずにうまく運営し問題を解決するか(変えるのはどうしても変えなえればならない時だけ)なのに、制度を変えさえすればうまくいく、と国民に訴える姿勢はあまりにも安易というものだ。
制度や法はそれぞれ歴史的に理由があって存在している。企業社会においても、就任早々、改革だと叫びまわる課長や部長には無能な人が多いとも言われる。保守的な知恵を蓄積した制度をいかにして活用するかを優先的に考える勢力は、ポピュラーセンチメントをチェックする存在としても欠かせない。
保守を自認する政治家がこの日本にまだ残っているならば、改革騒ぎの中で頬かむりを決め込むのではなく、「公論」を展開する姿勢を貫いてほしい。まずは、保守のスタンスから、財政再建のために、そして復興への連帯意識を喚起するために消費増税を敢行し、復興のための公共事業によって有効需要を増加させる必要性を強く主張してみてはいかがだろうか。(3月23日 ロイター)
*猪木武徳氏は経済学者で、国際日本文化研究センター所長(3月末退任予定)。大阪大学経済学部教授・学部長、国際日本文化研究センター教授などを経て、現職。2007─08年、日本経済学会会長。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。
杜父魚文庫

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