<おろし>という言葉がメディアではやりだすと、政界は荒れる。周期的にやってくるから驚くにあたらないが、言葉の響きはよくない。
野田おろし、谷垣おろし、が言われている。<おろし>と言うからには、野田佳彦首相や谷垣禎一自民党総裁を辞めさせようとする政敵、勢力がいるわけだが、そうなるとは限らない。
最長老の中曽根康弘元首相は先日のテレビ番組で、「いま選挙をやれば自民党が勝って、谷垣君が首相になる可能性が強い。彼は批判もあるが、純粋でいい首相になると思うよ」と予測した。一方、
<9月の総裁選で、谷垣の再選はゼロ>という報道もある。それまでに何が起きるか、流動的だ。首相自ら、「ボコボコやられてる」とぼやくのも珍しいが、野田の運命も定まらない。
ところで、戦後、<おろし>が激しかったベスト3は(1)三木武夫(2)大平正芳(3)菅直人だろう。3人とも<おろし>の主力が党内だった点が共通している。よく粘り、三木は衆院選まで持ち込んで敗れ退陣、大平は急死、菅は刀折れた。
だが、<おろし>もいろいろで、いまだに謎めいているケースもある。その一人が宮沢喜一元首相だ。
93年6月、政治改革法案をめぐって内閣不信任案が可決、宮沢は直ちに衆院を解散するが、自民党は過半数割れに陥る。選挙の直前、小沢一郎、武村正義の両グループ五十数人が脱党したからで、自民党は223議席、改選前の勢力は維持していた。第2党の社会党はわずか70議席。だれもが宮沢政権は連立相手を探して続くとみていた。ところが退陣、さらに自民党の下野、55年体制崩壊と急展開である。
数年後、宮沢に尋ねたことがある。「あの時、辞めることはなかったのではないか」
「ぼくもそう思ってるんだ」
「それが、なぜ……」
「まあ、梶さん(梶山静六・当時幹事長)たちがやいのやいの言うもんだから」
梶山執行部がおろしにかかったという。何が狙いだったのか。3年前、宮沢の長女、ラフルアー・宮沢啓子にインタビューする機会があったが、父親の退陣に懐疑的で、こう語った。
「父は辞めさせられるとは思っていなかったのではないでしょうか。(衆院選の)投票の結果が最終的に出ないうちに父は寝てしまったんですね。私は最後までテレビを見ていて、こんな時に寝てていいのかなと。メディアの方に、
『勝ちはしなかったが負けではない』と状況をコントロールすればいいのにと思いました。翌朝、『宮沢退陣か』っていう朝刊を見た時の父の顔を覚えています。『え、まさか』と『やられたかな』という感じが混じったような顔でした。
そこらへんの裏話は何度聞いても、父は『うーん、むにゃむにゃ』であまり言わないけど、日本人て、<なっちゃった人>をおろすのが好きですね」
政争嫌いの父に対する悔しさがにじんでいた。宮沢が断固政権維持で突っ張ればできたかもしれないが、後継総裁選びで自民党がモタモタしているうちに、政争好きの小沢一郎(当時新生党代表幹事)に政権を奪われてしまった。
それ以来も、何度となく<おろし>の繰り返しだ。同じ戦敗国のドイツは8人の首相が戦後の国家運営に携わってきたが、日本は34人目の首相を狙ってまたも<おろし>が始まっている。この壮大なロスは国を危うくする。(敬称略)
杜父魚文庫
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