親中派同士の内ゲバ 香港行政長官選挙の泥仕合は梁震英が当選!北京は唐から梁に乗り換え、民衆は香港政治の悪質な中枢を呪い。
香港の行政長官を決める選挙は香港の商工界と金融界が組織する選挙委員会で投票される間接選挙。「選挙人」は僅か1200人。
25日の投票結果は梁震英が当選(639票の圧勝)、二位に唐英年(285票)、埒外三位は民主党(76票)。
基本的に民主選挙とは言えない。もちろん民主党からは何俊仁主席が立候補したが、直接選挙ではないため世論調査で二位につけても、選挙人で彼を支持する人は極小である。
したがって北京の覚えめでたき政治家兼実業家が、このポストを獲得し、まるで英国総督のように振る舞ってきたのだが、今回は風向きがかわった。
1997年返還後、最初の香港行政長官は董建華(船舶運輸で財をなした寧波人)だった。このポストをひきついで二期十年をつとめたのは曽蔭権(ドナルト・ツォン)。曽の対抗馬は民主主義側からでたが、選挙システム上、香港市民には投票権がないので、トップの意向で決まる。
香港上層部は財界、実業家、北京のロビィスト、北京の代理人などで構成される。
こんかいは風向きがらりとかわったのは、唐英年も梁震英も(ともに名前に「英」が付くのは植民地時代の名残り。台湾総統の馬英九も対抗馬だった蔡英文も「英」)、ともに北京の顔色を窺いながらも、しかも争点は殆ど無いにも関わらず、激戦を演じ、泥仕合となり収拾がつかないほどの混乱。「誰も勝者はいない」(ウォールストリートジャーナル、3月25日)との予測だった
しかし、今回の選挙は胡錦涛率いる共青団と江沢民率いる上海派の「代理戦争」なのだ。そして薄き来(重慶市書記、太子党、上海派と目された)が失脚した事件後の政治イベントで、共青団系が勝利したということである。
二ケ月前まで、本命とされ、中国の支持を得て圧倒的強味を誇った唐英年(香港政庁政務官)は上海出身の財界人二世で繊維ビジネスに成功してのし上がった。
ところが、選挙中盤で税金ごまかしと不動産の不法取得、豪華マンションの免罪、くわえて不倫(重婚)のスキャンダルが飛びだして人気低下。それでも香港財界の李嘉誠らが支持の名乗りを上げたので大丈夫だろうと言われた。
▼一般民衆は第三候補の出現を臨んでいたが。。。
ところが一般の世論調査で唐英年の人気は一気に急落し、慌てて北京は梁震英支持に乗り換える。唐は江沢民にちかいうえ太子党とのコネが強いが、梁震英のほうは胡錦涛派に近いとされた。
そこで胡錦涛は自派で政治局員の劉延東(香港マカオ工作の責任者)を香港の真北にある深センに送り込んで、香港の選挙人を呼び出し、懸命に「梁に投票を」との説得工作を展開するという異常な梃子入れだった。
またまた乱戦。選挙終盤になると、今度は梁のスキャンダルが飛び出し、しかも香港のマフィアとの繋がりが指摘されたうえ、「あいつは元から共産党秘密党員だ」という噂がネット上で広がり、いきなり苦戦に陥った。
また香港のネットでは投票に参加できない一般市民が人気投票による議事選挙を展開したが、突然ハッカー襲撃をうけて実現不能となった。
一般民衆は投票権のない腹いせまぎれに「北京の思惑の反対で唐英年に入れよう」と呼びかけるグループもあったが、過半は「両候補、ともに香港市民の信頼を失っている」として第三候補を支援する動きを示していた。
杜父魚文庫
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