紅色番組一色で重慶テレビ視聴率は全国9位から34位に転落していた。紅色テレビ革命? なんせ薄き来前書記は「唱紅打黒」の毛沢東路線リバイバルで重慶に新政を敷いたのは良かったが、中国がすでに商業主義にどっぷりとつかっているという現実をあまりにも軽視したのだろう。
2011年3月1日から重慶テレビは薄書記の号令一下、すべてのテレビコマーシャル番組が禁止された。そうそう、毛沢東時代の中国には広告がなかった。ワシントンポストの社長が周恩来に会ったとき、「そういう意見なら我が紙(WP)に意見広告を」と誘うと周恩来は何のことか分からず「中国には広告というものがありません」と言ったのは有名な逸話である。
それがいまでは、新華社がNY市の象徴=タイムズ・スクエアの広告塔を買い取り、毎時毎秒、アメリカ人に中国の宣伝をしているほどに激変している。
そういう時代変化を無視して、テレビの番組を真っ赤に統一して、革命歌を唱うだけの番組(天天紅歌会)を作らせて、黄金アワーの放映させたら、どうなったか?
全国平均でも視聴率の高かった重慶テレビが、ドラマも外国映画の禁止となったうえコマーシャル番組が画面から消え、視聴率は全国9位から34位に転落していた。
そのうえ広告収入は三億元から一億五千万元に急落(のこった広告は政府公報、党委員会のCMだけ)。職員は140名から四分の一、残れた職員も給与は10%カット、役員は四割カット。不満は鬱積し、「薄のバカ野郎が革命歌なんぞを強制的に唱わさせやがって」と不評サクサク、市民の怒りとともに燻っていた。
2012年3月26日、およそ一年ぶりに重慶テレビには商業広告番組が復活した。第一号は地元の酒造メーカーだった。
一方、薄き来の号令一下、農村戸籍の都市戸籍移転が命じられたが、じつは窓口で殆ど業務が進んでいない事実が分かった。近郊にばたばたと造成した低所得者住宅も、交通のアクセスが滅法悪く、殆ど入居者がおらず、ゴーストタウン化している。重慶の「ギリシア化」も時間の問題とされ、考えてみれば後任の張徳平は、貧乏くじを引いたことになる。
杜父魚文庫
9348 重慶テレビが商業広告のコマーシャル番組を再開 宮崎正弘

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