日米同盟空洞化、米中接近のなか、孤立する日本の行く道を平和主義という敗北主義者がえがく虚妄の空想的理想論。
<<孫崎亨『不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換』(講談社現代新書)>>
結局、本書が言わんとしているのは自主防衛、自主独立という主権国家の名誉、矜恃、伝統の保護ではなく、なし崩し的な敗北の勧めである。本文のどこにも、明確な表示はないが、読後感の不愉快さは、まさに本書が示唆する平和主義という空想から、行間に滲み出てくる。
曰く。「米国にとって、もはや、日本が東アジアで最も重要な国ではない。最も重要な国は中国である。この傾向は今後強化されていく。我々はこの(不愉快な)事実から目をそらすべきではない」(12p)。
まことに、この指摘は正しい。いみじくも田久保忠衛氏が「日米関係は、もはや米中関係の補完因数」と指摘したように、冷厳なる国際環境の現実の風景である。
しからば、これを如何に打開し、日本の真の独立を獲得してゆくか。石原慎太郎、西尾幹二、伊藤貫そのほかの論客が力説するように「日本の核武装」である。
ところが筆者の孫崎氏はまったく逆の方向を指す。国際政治学者のなかには核武装に反対する人もいるが、それは米国の口先だけの「核の傘」を信じようとしている親米派である。TPP賛成論の大半も、そうだろう。
この点では外交無脳(無能以前)の日本政府と似ている。ソウルの核サミットへ、勉強も下準備もせずに、のこのこ出かけていった首相は、米ロ中国ばかりか韓国からも相手にされず個別会談もなく、すごすごと引き上げてきた。(そりゃ、核兵器のない国と、話し合って何か成果があるのか)とでも列強は言いたいのだろうが・・・。
ネオコンの代表選手ロバート・ケーガンもこう言った。「オバマ大統領の時代は新しい米国外交の時代の始まりで、第二次世界大戦後採用された米国の大戦略を捨てる」、すなわち米国の新方針は「経済的な優位を維持すること、同盟を重視するという二つの柱を捨てた。そして同盟国以外の国との関係強化で米国の衰退を阻止しようとした。」
わかりやすく言えばオバマ政権は対中敵対、封じ込めを辞めて、「中国と協調することを求めた」わけだが、そうなると「そもそも中国封じ込めを意図した同盟国との古い関係を維持することは難しい」ため、米国は同盟国基軸外交の代替にG20重視路線に踏み切る。いずれにしても「民主主義というイデオロギー的な側面、これに基づく同盟の意義は薄められた」(60p)。
キッシンジャーもアーミティジもナイという知日派はこぞって来日し、民主党政権をTPP参加に踏み切らせようとしている。
著者の指摘も、このあたりの事実関係は正しい。しかし、この日本の外交失態を招いたのは政府、外務省ではないのか?
ちなみに筆者は外交官を務めた後、防衛大学教授を歴任している人物である。外交的失敗の一翼を担った人である。しからば、なぜ外務官僚の在任中に行動を起こさなかったのか?
本書の結論は「アジア共同体」の提唱である。アジア共同体に賛意を示唆しつつ、著者は同時にTPP反対をいう。どうやら反米が基調だから、米国が反対するアジア共同体に賛成し、米国がすすめるTPPは反対と、その基礎的な姿勢は矛盾しており、論理的ではない。
日本の保守陣営がアジア共同体に反対している理由は著者のように「米国が反対しているから政治環境が整わない」などという非現実ではなく、アジア共同体は中国を利し、日本が損害を被る構想であり、歴史と政体と民主主義と宗教が共通基盤の欧州共同体とは異なる。
そのEUさえ、統一通貨ユーロはボロボロとなって分裂気味。サッチャーが断固信念を貫いて独立主権をまもりぬくためにユーロに加わらなかったように、日本がアジア共同体などという空想的共同体幻想にとりつかれているのはレトリックでないとすれば左翼の深謀遠慮であろう。
そして、こうした空想的幻想共同=アジア共同体構想をまだ獅子吼するアナクロな論客が存在しているのも、また「不愉快な現実」ではないのだろうか。
杜父魚文庫
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