9363 重慶ミステリー(続き)  宮崎正弘

英国人ヘイウッドは遺体ではなく遺灰で遺族に返され、検死はなかった。昨秋十一月に重慶のホテルで変死した英国人ネイル・ヘイウッドは「アルコール中毒」と発表され、検死された痕跡さえなく、しかもロンドンから妹のレオニーと妻のルールー(中国名、音訳不明)が重慶に駆けつけたとき、遺体ではなく火葬された遺灰が返却されただけだった。
英誌『テレグラフ』(3月28日付け)は、重慶に特派員を飛ばして、追跡調査。
「彼の友人はそろって彼が冷静沈着、かつ純潔で博学だった。スパイの気配などなかったが、薄一家に深く食い込んでいることは知っていた。彼は多くの高級官僚と企業人を結びつける仲介稼業に勤しみ、調査会社の依頼で定期的に報告書をあげてもいたが、その会社が嘗てのMI6の幹部が設立したというだけの理由でスパイという秘密はあたらない」。
ヘイウッドは「グレアム・グリーンの小説の主人公のようだった」と別の友人は彼の印象を語った。また或る友人は「薄夫人とのビジネスで、かれは知らなくともいいことを知ってしまった可能性がある」と証言した。
さて重慶での薄一味はその後の調べで「打黒」の捜査実態が明るみに出た。NYタイムズ報道(3月28日付け)によれば以下のごとし。
マフィアを懲らしめるはずの捜査は政敵を撲滅する目的で、最初からでっち上げが多く含まれ、しかも「重罪」となった多くは政敵ならび政敵とビジネスをする豪商で、冤罪をでっち上げて拷問し、嘘の自供のもとに関係者を逮捕するという、毛沢東の武力革命、人民裁判の非情な手口、陰惨な拷問とリンチ殺人という暗い時代を思い出させる。
 
財産はすべて没収され、親兄弟親戚も刑務所送りとなり、財宝は山分けされた。これは山賊、匪賊の手口ではないか。
そうだ、中国共産党は山賊、匪賊の類だったが、毛沢東の部隊はもっとも陰惨なリンチと殺人を好んだ(ユン・チアン『マオ』、講談社、上下弐巻)のだっけ。薄が唱えた「唱紅」、「毛沢東に返れ」とは殺人と拷問と匪賊の強盗の奨励だったのか。
杜父魚文庫

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