2007年6月29日に阿比留瑠比さんが「変わらない小沢一郎氏の選挙手法と参院選」という記事を書いている。この一年前の9月に小沢氏は民主党代表に選ばれて、2007参院選の陣頭指揮を執った。阿比留瑠比さんはこの参院選を前にした一ヶ月前に記事を書いている。
国民に党首の主張を訴える党首討論よりも、地方の支援者回りを優先させ、地方行脚のために民主党の役員会などもたびたび欠席しています。こういうやり方は、小沢氏のある意味、一貫した考え方に基づくものなのだろうなと・・・ズバリ小沢選挙の本質を剔っていた。
この時の政治状況を阿比留瑠比さんは次のように書き残していた。今の政治状況とおそろしく類似しているではないか。違うのは石原新党や大阪維新の会が政治参加の動きを示している点。
<<安倍首相には派手なパフォーマンスは似合わず、現在は年金問題その他で無党派層をつかみ損なっていますね。今朝の読売新聞の世論調査では、内閣支持率は34.4%と一定レベルあるものの、不支持率は51.8%とそれを大きく上回っており、依然、苦しい状態は続いています。(だが)この世論調査では、民主党自体の支持率は19.9%と2割に届いていません。>>
八年前のことだが、私は2007年に先立つ2004参院選にかかわりを持った。岩手県副知事だった高橋洋介氏(故人)が岩手選挙区から無所属で立候補したからである。洋介氏の父と私の父は旧制盛岡中学の同級生だったこともあって、洋介氏と私も親友の間柄。私の出来る範囲で選挙のお手伝いをした。
この洋介選対には小沢氏の秘書を25年間も務めた元衆院議員の高橋嘉信氏が加わっている。「小沢の影に高橋あり」「選挙の達人」「自由党の軍師」といわれた小沢側近だった人物。嘉信氏が小沢氏と袂を別った事情には諸説があるが、洋介選対で采配をふるった嘉信氏から小沢選挙の手法を見せつけられることになる。
自民党の福田赳夫氏や渡辺美智雄氏の選挙にも多少のかかわりを持った私だが、小沢選挙の異様さとは比較にならない。一言でいえば、浮動票や無党派層に働きかける発想がなくて、徹底した業界組織依存型と地方の支援者回りの優先型。小沢氏にとって選挙とは、組織票の奪い合いでしかない。
小沢自由党が合流する前の民主党は、風に乗る選挙をやっていた都市型政党。それを小沢氏は泥くさい選挙手法で田舎の票を掘り起こし、2007年参院選で勝利に導いた。これにより参院で自民党は少数与党に転落、衆参ねじれ現象を招くことになる。
2009年総選挙では党幹事長として采配をふるい民主党は選挙前を大幅に上回る308議席を獲得して政権交代を実現している。
その小沢氏からみると、石原新党や大阪維新の会が国政選挙に進出しても、首都圏や近畿圏で大勝することがあっても、北海道、東北、九州、四国、中国では既成政党が勝ち残ると踏んでいるに違いない。選挙後の政治地図は民主党、自民党、新党によって三分割されるとみているのだろう。
さらには小沢氏を排除した民主党なら、同じ都市型政党の新党によって壊滅的な打撃をくらうとみているに違いない。風に乗らない旧型の選挙手法に固執する小沢流の選挙に徹すれば、巷間言われる小沢チルドレン、小沢ガールズが案外生き残るケースが出るのかもしれない。
杜父魚文庫
9396 小沢一郎氏の選挙手法 古沢襄

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