9455 【野狐跋扈】 MoMotarou

この頃の思想家・評論家には、解放とか自由とか人道とかを、さも勿体(もったい)ぶって説き立てて。そして祖国日本に毒づく変な流行があります。 安岡正篤
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もしかして我が国は世代交代に失敗したのではないか。前の自民党時代、小泉総理と安倍官房長官が中曽根・宮沢元総理のところへ行きました。その時マスコミを同行、「引退せよ」と迫り、“晒(さら)し者”にしました。
情の無いやり方で違和感を感じたものでした。あのころより世代間の断絶が始まり、政治に必要な“何か”も継承出来ずに浮遊し始めました。「若さ」だけで政治が出来るものでしょうか。
■継承する学問と知恵
わが邦の先輩に山田方谷さんがいます。近年は「理財論」で有名であります。私も仲間と共に約二年間方谷さんが書いた原文を輪読しました。全部漢字であります。(笑)
やはり「理財論」だけ勉強するのとでは迫力が違いますね。以下安岡正篤氏の本より転載します。この一節は、その昔ラジオ番組で放送したものです。現在は「朝の論語」の録音の中で聞くことができます。昔はこんな番組もあったのですね。 
■道義と経済「運命を開く」安岡正篤 より転載
この人(山田方谷)に卓抜な「理財論」があります。「理財の密なる、今日より密なるはなし」世の中は挙げて経済の話である。
「而して今日より窮せるはなし」で、そこで、およそ取れるものは何でも税をかけて取る。減らせる費用は何でも減らす。それでいて政府の倉は空で、「積債山の如し」である。
そもそも、天下の事を処する者は、問題の外に立って、問題の中に屈すべきものではない。 理財もまた然(しか)り。理財の中に屈してしまってはいけない。しかるに今の財を理(おさ)める者は、即ち財の中に屈して、万事只々経済経済で、それより外に出られない。
人心の頽廃も政治の堕落も何も考えないで、ただもう経済の心配ばかりして、ますます窮しておる。その心の持ち方を一変して、どうすることが正しいかという道義に目覚めなければ、経済は救われるものではない。
「利は義の和」である。道義を実践してゆくことが、結局、大利になるのだ、ということを論じております。(中略)我々は、これから本当に自分に対し、家に対し、国家に対し、民族に対し、みずからの不明を恥じて「不昧因果」-松平不昧侯ではないが、皆「不昧人」にならなければならない。これが学問教育の本筋であります。(終)
 *「昧(まい)」ーくらい。道理がわからない。おろか。
■総理の意味
方谷先生の勉強のなかで「理」に“おさめる”という意味があるのを知りました。“総て”を「おさめる;をさ・む」のが「総理」であります。 失格ですな。
          
 *「外務官僚の背骨」渡部亮次郎 -ハンディキャップ国家論
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/485200 
 
 お勧めサイト
 ・杜父魚(かじか)文庫ブログ
  「韓国軍が抱く複雑な心情  古沢襄」
  http://blog.kajika.net/?eid=1000429
 ・【山村明義】神道から考える「戦う精神性」と神社の役割[桜H24/4/6]
  http://youtu.be/CefVtB-C_dk
 *【民族の第-義は精神である】 安岡正篤
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/2631423/
杜父魚文庫

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