NHKの大河ドラマ「平清盛」が低視聴率にあえいでいるという。兵庫県知事が「画面が汚い」と発言したこともある。まったく関係がないことだが、「平清盛」を観ながら、東北で最初に直木賞を受賞した大池唯雄さんのことを思い出している。
幕末や明治維新など、歴史に題材を求めた短編を多く残した大池さんだったが、小説はフィクションの世界だが、歴史小説は史実に忠実でなければいけないと”こだわり”をもった作家。父・古沢元の親友で、早くから父を失った私の父親代わりをしてくれた人だが、その”こだわり”が私にとっては時には息苦しく感じたこともある。
「平清盛」はリアルな平安時代の再現にこだわっている。平安時代は日本が温暖期のサイクルにあった時代だから殿上人であってもハダシでいた。人々が足袋を履くようになったのは、寒冷期の鎌倉時代に入ってからだと慶応大学の西岡秀雄教授が指摘する。「平清盛」はその時代背景に忠実であって見事に再現している。
一種のリアリズム作品といえる。だがドラマ性を求める視聴者にとっては、物足りないものがあるのだろう。史実よりもフィクションのドラマを好む大衆性があるから視聴率が上がらない。大池さんの歴史文学への”こだわり”が、私にとって息苦さを感じさせた様に、視聴者は「平清盛」の作品に違和感を感じつつある。
文学の世界でいえば娯楽性が高い大衆文学に人気が集まり、リアリズムに徹する純文学は大衆的な人気が盛り上がらない。戦後はとくにその傾向が顕著となった。
清盛が生きた平安時代末期は、絢爛たる王朝時代を造った公家の貴族政治がほころびをみせて、武家が実力で政治の実権を奪取しようとした過渡期に当たる。そこで生き残りを図る公家たちの暗闘は、おどろおどろしいほど暗い闇の世界なのだ。これをドラマ化するのは野心的なのだが、大衆受けはしないテーマだと思う。
公家政治と武家政治が激突すれば、まさにドラマなのだが、当時の平家にしても源氏にしても、公家の”番犬”に過ぎない。京都という狭い公家世界で警察犬のような地位に甘んじている。源頼朝が鎌倉にこだわり、義経が京都の公家政治に絡め取られる経過、事情が、両者の不和の原因である。この方がダイナミックでドラマとして描きやすい。
清盛が非凡な風雲児だったのは、おどろおどろしい公家政治の暗闘を利用して、短期間とはいえ平家の武家政権を造ったことだが、それも公家政治の枠内での出来事という制約を受けている。ドラマはこれから保元・平治の乱に移るのだろうが、史実としては面白いテーマだが、公家の暗闘に警察犬が闘ったのだから、ドラマにはなりにくい。「武者の世」は鎌倉時代まで待たねばならない。
テレビはとくに視聴率を気にするから、「平清盛」も少しずつドラマ性に重点を移すのではないか。大池さんは史実に忠実な歴史小説のスタンスを変えなかった。大佛次郎さんから上京して大衆的な歴史小説を書くように薦められたのだが、東北は歴史小説の宝庫といって仙台から動かなかった。
大池さんが「平清盛」を観たら「史実に忠実でよく出来ている」と褒めただろう。ウイキペデイに大池さんのことが出ている。
■大池唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 – 1970年5月27日 )=、日本の作家。宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)出身。本名:小池忠雄(こいけ ただお) 。仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類卒、東北帝国大学文学部中退。
東北初の直木賞作家。 幕末や明治維新など、歴史に題材を求めた短編を多く残している。社会教育にも力を注ぎ、槻木公民館長、柴田町公民館長などを歴任。船岡中学校校歌の作詞も手掛けた。 1938年、「兜首」「秋田口の兄弟」で、第8回直木賞受賞。長男は歌人の小池光。
著書 『おらんだ楽兵』 『兜首』 『秋田口の兄弟』 『炎の時代』 『吉原堤の仇討』
関連人物 古沢元 旧制第二高等学校時代の友人。 大佛次郎。 山本周五郎。
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