9566 枝野氏=ロベスピエール説に関する雑考 阿比留瑠比

《かれらは、なにかを破壊しなければならない。そうでなければ、かれらにとっては、自分たちがなんの目的もなく存在しているようにおもわれるのである》(バーク「フランス革命についての省察」)
昨日の毎日新聞の山田孝男氏のコラム「風知草」は、ある種の人間の物の見方を考える上で非常に興味深い内容でした。「枝野幸男の弁明」と題したそれは、「脱原発派」のはずなのに、関西電力大飯原発の再開問題をめぐってブレをみせた枝野経産相に会って聞いた話を紹介していて、枝野氏は山田氏にこう述べたそうです(※ゴチックは阿比留)。
「私はロベスピエールになりたくないのです」
山田氏の解説によると、《マクシミリアン・ロベスピエール(1758~94)はフランス革命の指導者である。恐怖政治の代名詞でもある。理想に忠実な弁護士だった。政権を掌握するなり急進的な改革へ突き進み、政敵を次々処刑し、最後は自分が処刑された。》とあります。
そして山田氏は枝野氏の考えについて《枝野は、定期検査中の原発の再稼働を一切認めない選択は無理な急進的改革だと考える。直進を急げば混乱を広げ、かえって理想(脱原発)から遠ざかると見る。》と説明した上で、締めくくりにこう書いています。
《脱原発を願い、再稼働を疑う人を「過激派」と呼ばないでほしい。現実主義の堕落に敏感でいてほしい。穏健派の指導者に注文しておく》
……枝野氏がいわゆる穏健派なのかどうかはさておき、やはり脱原発派である山田氏の心境もうかがえるコラムでした。電力不足が日本経済や国民生活に与える影響から再稼働容認に傾いた枝野氏に対し、あくまで脱原発路線を貫いてほしいという注文なわけですね。むしろ山田氏としては、ロベスピエールであってほしいのかもしれません。
また、枝野氏が自身をロベスピエールになぞらえた部分も、ひねくれた私は一瞬、「かっこうつけているな」と感じたものの、民主党政権、とりわけ菅直人内閣の官房長官を務めていたことを考えると案外ぴったりかもしれないと思い直しました。
で、先日私宛てに献本が届いたので哲学者、適菜収氏の「ニーチェの警鐘 日本を蝕む『B層』の害毒」という新刊をたまたま読んでいたのですが、その中で適菜氏は《アレントは、革命家がリアリティーに対して無感覚になり、「教義や歴史の進路や革命それ自体の大義のため」に人々を犠牲にしたのは、「同情」「感傷の際限のなさ」に原因があると言います》と書き、アレントのこんな言葉を引用しています。
《ロベスピエールの哀れみに支えられた徳が、彼の支配の最初から、いかに裁判をむちゃくちゃにし、法を無視したかを想い出すことができる》(「革命について」)
適菜氏の本はまた、枝野氏が仕えた菅前首相については《民主党の反知性主義を代表するのが菅直人です》《菅の最大の特徴は、知性、文明に対して深い憎しみを抱いていることです》と書き、菅氏のこんなセリフを引いています。
《私は、もともと東大全共闘の主張の主張には、かなりの共感をもっていました。とくに、初期の全共闘のもっていた文明批判的な側面には同感するところが多かった。》(「日本大転換」)
《全共闘運動について一言でいえば、私は反文明運動だったと思っています。文明に対しての、ある種のアンチテーゼというか……。》(鳩山由紀夫との共著「民益論」)
……枝野氏より単純で過激な菅氏が、自然エネルギーにこだわり、首相退任後、市民活動家として脱原発運動に突き進んでいるのは、もともと「反文明」だからかと妙に納得しました。と同時に、そりゃこんな反面教師が身近にいたら、枝野氏も悩むことだろうなとも感じた次第です。
私自身は、政治家にどこまでも現実、リアリティーに立脚してほしいし、理想を持つのは当然として現実的手腕を発揮してほしいと考えますが、あの菅氏が自身を繰り返し「リアリスト」と自称していることを思うとそれもあてにならないかもしれません。
だらだらと駄文を書いてきましたが、枝野氏に関連してやはり昨日、こんな穏やかでない情報を聞いたので報告します。それは、脱原発派だったはずの枝野氏が大飯原発再稼働を容認したことについて、枝野氏が片足だか両足だかを突っ込んでいた左翼連中が「裏切り」と受け止め、報復を加えるため枝野氏を狙っているというものです。
そのため現在、枝野氏の警護体制は強化されているほか、家族に危険が及ぶことも懸念されているというのです。これがガセ情報ならばいいのですが、左右を問わず、脅迫や暴力、テロの類いを私は許容できません。枝野氏など好きでも何でもなく、むしろ危ない人だと思ってきましたが、これはダメです。原発再稼働問題をめぐり、いろんなことを考えさせられる今日この頃でした。
杜父魚文庫

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