薄煕来夫人、谷開来は王立軍に告白していた。「ヘイウッド殺人、わたしがやったわ。あの部屋にわたしはいた」。
英国紙テレグラフの特ダネ?
25日付け同紙は伝えた。「薄煕来夫人、谷開来は王立軍に三回も告白していた。『ヘイウッド殺人』、あれはわたしがやったわ。あの部屋(ヘイウッドが殺されたホテルの一室)にわたしはいた」。毒薬が足りず、足して無理矢理ヘイウッドに飲ませた。
この情報はアメリカ政府高官からテレグラフ紙にもたらされ、王立軍が成都の領事館で30時間滞在したおりに、証拠品などと彼の説明によるものという。
テレグラフによれば、ヘイウッドは英国にカネを殆ど残しておらず、残された妻と子供の生活費も事欠く有様と報じている。
またサウスチャイナモーニングポスト(24日付け)は「王立軍は成都の米国領事館へ、まちがいなく亡命を求めて駆け込んだ」と複数の証言を得て補完報道をしている。
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読者の声 どくしゃのこえ
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(読者の声)貴誌3636号の速報の内容について一言申し上げます。(記事引用)「また薄の前妻・李丹宇が動き出した。李の父親は李雷峰(北京市書記)で薄の父親の薄一波(副首相)とは戦友、長い付き合いがあり、その息子と娘が一緒になるのは自然の流れだった。北京書記と副首相では、北京市書記のほうが権力的にはやや上である」(引用止め)
副首相はあくまで「国家領導人」ですが、首都の北京市であろうとも北京市書記は単なる地方の「領導人」に過ぎません。現在で言えば、筆頭副首相の李克強は常務委員ですが、北京市書記の劉淇は中央政治局委員に過ぎず、共産党の序列から考えても北京市長の方が副首相より上のはずがありません。失礼ながら「北京市書記のほうが権力的にはやや上である」は間違いだと思います。
ついでに申し上げると、李丹宇の父親の名前は「李雪峰」であって、「李雷峰」ではありません。
一方、「薄煕来と李丹宇との離婚調停が進まず、薄一波が介入して強引に離婚させた」というより、「離婚させることに成功した」のは、李雪峰が1971年に陳伯達反党集団の仲間と認定されて8年間隔離され、さらに1973年には林彪集団の大将として党から追放となったため(1982年に名誉回復)。
李丹宇は父親がそういう境遇にあったので、薄一波に対抗する手段がなかったのだと思います。友人の弱みにつけこんで強引に離婚させるなどは薄一波にとっては痛くも痒くもないことだったでしょう。
<薄一波とは1986年頃、ある会合の控室で数分間だけ隣に座ったことがありますが、人品卑しい感じの見るからに嫌な奴でした>以上、ご参考まで。(商社員)
(宮崎正弘のコメント)貴重な情報を有り難う御座います。或る中国人の説明を鵜呑みにした迂闊さがありましたね。それにしても薄煕来に関して言えば、夫人ともども「性格破綻者」のたぐいではないでしょうか?
杜父魚文庫
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